濹堤通信社綺談

江都の外れ、隅田川のほとりから。平易かつ簡明、写真入りにて時たま駄文を発行いたします。

おふくろの味でも何でもない、煮干しの味噌汁の味

一昨年の秋、母と旅行に行った。


母は、まあ僕の母であることから想像はつくかもしれないが、この人も中々に"人の暮らし"が好きな人だ。
以前、小金井の江戸東京たてもの園に行って古民家など見て回ったのがお気に召したらしく、
「今度は明治村に行きたい。あんた、一回行ったんだからアテンドして」
と前々から言われていたのをついに実行した、というわけだった。
広い上に高低差のある地形の明治村を丸2日に渡って隅々まで見て回り、歴史的だったり地理的だったりのバックボーンを求められたら解説し、求められなくても適当に喋る健気なガイドとして2泊3日を過ごした。
まあ旅費は母持ちだったから、これくらいの仕事はさせてもらわないといけないだろう。

2日めの夜、名古屋駅前の居酒屋で二人で夕飯兼晩酌をした。
そういえば親父と二人で飲み屋というのは数えきれないほど経験があるが、母とというのは初めてだったかもしれない。

僕の「麻婆豆腐を自発的に食べようという気に全くならない」という発言からだったか、「家族の好き嫌いって意外と知らないよね」というような話になった。

ちなみに僕は麻婆豆腐というか、豆腐という食べ物が別に好きではないというか、食べようという気持ちになることがあまりないことに最近気づいた。
豆腐がめちゃくちゃ嫌いなわけではなく、出されれば特に不満ということもなく食べるし、美味い豆腐は美味いと思うし、豆腐が欠かせない料理を食べたくなることはある。
それでもやっぱり豆腐に対する思いは特に無く、スンドゥブチゲや湯豆腐や冷奴が豆腐でなくても美味しいのであれば、僕はその"豆腐ではないもの"におろししょうがと削り節と醤油をかけて食べることに何の躊躇も見せないと思う。

「忘れられないのがさぁ、ばあさんのナスだよね」
と母が呆れたように笑いながら言うので、思い出したのが祖母が亡くなる前の話。
僕の母方の祖母、つまり母の母はもう10年以上前に亡くなった。80歳を目前にして白血病を発症し、半年くらいであっという間に逝ってしまった。
戦後第一世代の教育を受けた、ハキハキとして面倒見のよい、子供ながらに見ていて実にシャンとした人だった。
抗がん剤の副作用などで食欲が落ちに落ちている祖母のため、母は色々と病室に差し入れをしていた。
ある日、茄子を油味噌で甘く煮たのを持っていき、祖母に食べさせていたら
「……あたし、ナス嫌いなのよね」
と、ぼそりと言われたのだそうだ。

「もう衝撃!50年以上この人の娘やっててさ、ナスが嫌いなんて丸で知らなかったもん。だって普通に食卓に出てたのよ!?」
だから、この機会にお互いの知らない食べ物の好き嫌いについて共有しておこう、というわけだったのだ。

「死ぬ間際に嫌いなもの食べさせられないように今のうち言っとくわ。あたし酢豚嫌いだから!」


病人への差し入れに酢豚ってチョイスはしないよなぁ、というのを、翌朝の味噌汁のために煮干しの頭をむしって食べながら思い出した。
実家では母が好まなかったので、煮干し出汁の料理というのはほとんど出なかった。
実家を出て、僕が僕のために味噌汁を作るようになって、ふと煮干しで出汁を取ってみたら僕の好みに実に合うではないか。
"おふくろの味"とはよく言ったものだが、家庭の味はやっぱり台所を仕切る人に左右される。
母が食べたがらなかったせいで、僕がまだ知らないけれども実は僕が好みな味、というものがまだまだ世の中にはあるのだろう。

母は、全然元気である。

21円ぶんの切手を夜中に貼っている

mikoyann.hatenablog.com


この記事で一緒に禁煙をしていた友人と、「どこかに行ったときは、その土地から絵葉書を送り合う」というのを、もう何年もやっている。
僕はといえばズボラな方なので忘れたり覚えていても省略することもあるのだが、向こうは律儀に送ってくる。
筆まめ、というやつなのかもしれないが、まあお互い特段何か伝える内容があるわけではない。
「絵葉書を送る」というのが目的なので、それでいいのだ。大体、しょっちゅう合ってるし。


そいつがこの間北海道に行った際、行きなんだか帰りなんだか青森に寄ったらしい。
青森県立美術館にある奈良美智の「あおもり犬」のポストカードを送ってきた。
「予想以上に可愛くて悔しかったので」送ったとのことだった。このように、特に意味はないけれど送り合っているのだ。

正方形なのも中々に可愛いポストカードなのだが、何やらもう1枚葉書がついている。

……はい。料金が足りない、と。
正方形をしているせいで定形「外」郵便物の扱いになり、葉書のつもりで貼った切手では足りなかったらしい。なんとまあ。


「このまま受けとりたい場合は、この葉書に不足分の切手を貼って出せ」というのが郵便局からのご提案だ。
「受けとりたく無い場合は支払わなくていいけど、未開封に限るよ」とも書いてあるが、葉書なので開封も何もない。
初めての経験で面白そうなので、払ってみることにした。

幸いにしてすぐ郵便局に行く用事があったので、21円分の切手を買ってこれた。
窓口のお姉さんからは「こんな金額の切手で何をするんだこいつは」というような眼で見られたが、こちらは生憎と郵便局の提案に従っているだけである。
恭しく20円切手と1円切手を捧げ持って帰ってきて葉書に貼った。あとは明日の朝、忘れずに投函するだけだ。


……よく読めば、「この葉書を持って郵便局で払うこともできる」とも書いてあった。
なにやら盛大に胡乱な手間をかけている気がする。
でもまあ、元よりこういう手間のかかる遊びではあるのだ。
次こそは、どこかに行ったらあいつに葉書を返してやろうという気でいる。

冒険してみる週休2日

最近、なんと週に2日も休めている。
去年は7月の終わりから基本的に週休1日だったので、休みが週に2日もあるとずいぶん楽だ。
しかも休みが2日続いているものだから、1日めいっぱい遊んでも翌日寝ていられる。アラサーには堪えられない喜びだ。
世間様の土日休みとは1日ずれて日曜月曜の休みではあるけれど、日曜に友人とワイワイ遊ぶような、活動的で社交性に満ち溢れた素敵な休日というやつを過ごさせてもらっている。いや本当、いつぶりだろう。

日曜深夜の都心を自転車で駆け抜ける週末の冒険


突発的に僕が大量に飯を作り、人にふるまう日曜日がたまにある。だいたい、競馬のG1レースの日だったりはする。
飯を食い、酒を飲み、馬鹿話で笑い、まあだいたい歌いだす。
この間、どういうわけだかひどく酔っ払ったやつが出た。両脇から抱えないと真っ直ぐ歩けないような有り様で、もう仕方ないからタクシーに乗せて帰そう、という話になった。で、なぜか隣に僕も乗ることにした。
一人で帰すのが少し不安ではあったし、僕はどうせ翌日の月曜も休みで予定もないものだから、まあ今日中に帰れなくともどうとでもなるのだ。

「笹塚の方なんですよぉ!あのぉ~」
ベロベロに酔っているくせに、妙にしっかりと運転手に自宅近くのランドマークを伝えられるあたり、こいつはタクシーに乗り慣れているのかもしれない。中々に油断ならない。

酔っぱらいにも色々いるが、喋るタイプの酔っぱらいというのは大概決まって同じ話を何度も繰り返す。

「あのねぇ!誰にも言ってない話なんだけどさぁ!なんで俺が一人暮らし始めたかってっとね……」

正直に感想を言えばしょうもない話ではあったのだが、僕はこれをこの後7回くらい聞かされる。

「それでぇ!なんでね、これを誰にも言わなかったかって言うとね……」
はいはい。同級生でお前の同僚のKが彼女になぜフラれたか、って話を親経由で聞いたんだもね。

「Kってさぁ、そんなに変なやつでもなかったじゃん?それがさぁ!『あなたには常識がない』って……」
かわいそうというか、正直言うと少し面白い話ではある。我が母校の常識は世間の非常識、という言葉が証明されている。

「だからぁ!親同士のネットワークってこの歳でも恐いなぁ……って」

この話は車中で5回、部屋について3回繰り返されるのだが、そんなことには構わずにタクシーは夜の東京都心を進んでいく。
本郷から小石川に抜け、牛込を通って新宿へ。僕は免許を持っていないから、夜に車に乗ることそのものが楽しい。

ところで僕には山手線の向こう側の土地勘というものがとんと無いものだから、新宿の西口を過ぎて、笹塚なんて新宿のすぐ隣なのかと思っていたら中々つかない。
ようやくそいつの部屋に着けば午前様。すぐ帰れば終電に乗れたものを、ぐるぐる巡る終わらない酔っ払いの話に付き合い続けてしまった。
部屋を出たのは午前1時過ぎ。当然終電なんてものはない。

さあ。
どうしよう?

前の通りにタクシーは走っているが、ベロベロの酔っぱらいが押し付けてきた一万円札を
「俺はお前と友達だから、これは受け取らないよ?」
などとカッコつけて押し返してきているので、タクシーで帰るのも少し癪だ。だいいち、懐だって寂しい。
しかし、一万円札を握らせてくるなんて、やはり前後不覚時の対応に妙な慣れを感じる。なんとも油断ならない男だ。

新宿までいけば、終電まで過ごせるところはあるか、と思って消極的に深夜の冒険を始めたところ……

シェアサイクルを見つけた。こいつで日曜深夜の東京都心を横断してやった。
杉並区から台東区まで13kmを、結果的に1時間半で帰った。料金にしてなんと500円足らず。

いや全く、こんな大学生みたいなことをするとは思わなかった。
でもなんだか、いやいや結構なかなか楽しい深夜の冒険だった。筋肉痛にはなったけど。

優秀な売り子として春菊天の美味さを知る週末の冒険

先週の日曜日はコミティアに参加してきた。創作オンリーの同人誌即売会だ。
前に行ったときは青海の会場でやっていた気がするから、本当に数年ぶり。コミティアは年4回もやっているから、2,3年行かないとずいぶん行っていないような気がしてしまう。
昼くらいから一般参加してフォロワーの皆様にご挨拶でも差し上げようかな、などとボンヤリ考えて前日から仕込んでいた染みウマフレンチトーストで優雅に朝食としていたら、友人が「売り子がいない!!!」と悲鳴を上げているではないか。

そんなわけで、友人であるたいぼくちゃんのブースで売り子としてコミティアを過ごしてしまった。

このたいぼくちゃんというのが、年に数回の同人誌即売会での売上が文字どおりの生命線のような中々の人物であるから、その新刊既刊を求めるお客がひっきりなしにやって来る。
「はい、新刊ですね、600円。あ、既刊が、これとこれ、じゃあ合計1800円ですね。はい、2000円から……」
などとお客を次から次へとさばいていくと、古式ゆかしいキオスクのオバチャンの気分で中々楽しい。
そういえば子供の頃は、千代田線の北千住駅ホームに売店があって、そこがなぜだか素朴に羨ましかった。
狭いところで色々な物に囲まれている、というのは僕にとってある種の理想的空間なのだろう。
今の生活空間を眺めてみれば我ながら納得である。だって、モノが、多い。



帰ってきて慰労会。一人では絶対に揚げ物をしないので、人が来てくれると揚げ物をしたくなる。寒かったので、スンドゥブチゲも作る。
揚げたての春菊天というのを、そういえば初めて食べた。実家の天ぷらレパートリーにはなかったし、立ち食い蕎麦の春菊天なんてものは衣がネトッとしているのをソバツユに沈めてエイヤと食べるような代物だ。
それをこの僕が揚げてやれば、実にサクサクとして、香りが良くて本当に美味い。天ぷらという食い物の、一番純粋なところを食っているような気になる。


春菊、舞茸、ふきのとう。どれも香りがよく、ということは日本酒によく合う。
新潟長岡の「朝日山」を最近一升瓶で買うのだが、二人で飲んでいて半分は消えた。新潟の酒は水のようなものなので仕方ない。

そうやって手前味噌ならぬ「手前天ぷら」で自分の飯にうまいうまいとやっていたら、徹夜続きで原稿を仕上げてイベントを終え、日本酒も入って完全に脱力しきった"サークル主"が、すっかりトロンとした眼をして言うのだ。


「こんなに色々作れるのに、なんで結婚できないのかねぇ」


それは、本当に謎なのだ。


ちなみにたいぼくちゃんのコミティア新刊は絶賛電子版でも販売中である。
背の高い女が好きな方にはぜひ、そうでなくともおすすめしたい一冊なので是非によろしく。既刊もね。
taiboku.booth.pm

有馬記念の日、The Peaceを吸う

今年あったこと、というのを考えてみれば、そりゃあまあ色々あるわけですが、やっぱり煙草を吸わなくなったのが一番大きな変化に思える。
僕が煙草をやめた経緯については以下の通り。

mikoyann.hatenablog.com


mikoyann.hatenablog.com


3月の頭に自棄を起こして禁煙を決意し、そこから何だかんだ吸わずに年の瀬を迎えてしまった。いやまあ、正直3日で終わると思っていたんですよ。


煙草を吸わなくなって以降、毎日仕事に出かける道で、なぜか「ああ、煙草やめたんだなぁ」と思うポイントがある。
4つめの角を曲がったところにある電柱なのだが、なぜかそいつを見上げて、建物に縁取られた東京の狭い空を見ると煙草をやめた実感がわいてくるのだ。

禁煙したての頃こそ、煙草を吸えない、吸っても美味くないことに随分がっかりした。でも最近では、もうすっかり煙草を吸わない人の顔をしていると思う。

実はいま仕事が一番の繁忙期というやつの真っ最中なのだが、そうなると昼食を食べる場所が松屋くらいしかなくなってしまう。
松屋は牛丼チェーンの中では一番好きではあるけれど、たまにはと思って隣にあるチェーンの居酒屋ランチを試してみた。
忘れていたが、居酒屋というのは席で煙草が吸えるところもあるわけで、暖簾をくぐったところで店員に「お煙草はお吸いに?」と聞かれて少し面食らってしまった。
「いやあ、3月まで1日1箱だったんですけどね、なんかすっかりやめちまいまして、へ、へ……」
などと言っても仕方がないので顔の前で手を振り、僕は無事に禁煙席に通される運びとなった。
ここで食べたランチの味噌汁が、キャベツの切れ端が2切れしか入っていない中々のやつだった話は、また別のお話である。

競馬好きにとって、年末とは有馬記念と同義だ。
ウンウン唸って考えた馬券が見事に外れ、「いやまだ、ホープフルステークスが。東京大賞典が……!」と言ってるうちに、あっという間に年が暮れる。

ここ数年、有馬記念の日は我が家にお客さんを招いて僕の手料理をお見舞いしている。
今年のテーマは「居酒屋」で、必殺のぶり大根、チャーシューの台湾ふう、自家製あん肝ポン酢、自家製数の子チーズなどなどでおもてなしを行った。


僕はもう飲んでもすっかり煙草を吸いたくならないのだが、隣にいる、今年の夏にコロナをやって以降禁煙したというやつが実に煙草を吸いたそうにしている。
と、思えばなんと喫煙者からアメリカンスピリットを貰って吸い始めたではないか。
なんだ貴様、貴様の禁煙とはそんなものなのか。
聞けば、僕と同時期に禁煙した知人も、その前日に煙草を吸っていたというではないか。
なんか悔しいぞ。
吸うか。吸おう。

とっておきのThe Peaceに火をつけ、吸い込む。
何の変哲もない。美味くもない。
酒の助力もあって、2本、3本と吸っただろうか。丸で美味くもない。1箱1000円もする、国産最高級煙草の美味さを感じることがないことに、どうしようもなく空しさを覚えたところでやめた。

そこから、1週間経った。
吸わないことは何の苦でもなく、吸いたくなるということも丸でない。

どうやら、本当に煙草をやめてしまった2023年だった。

金曜の夜、グリーン車で帰る


ここにはいたくないのだが、どこにも行きたくはない。
もうずっと、この思いに取り憑かれている。自分を変える度胸の無さ故だろう。

ある日突然日常が変わる、なんてことが起こらないことはとっくに知っている。
00年代ライトノベルの主人公のようなことを思ったところで、どうなるわけでもない。
つまらない上に意味のない思いだと自分でも思っているが、こればっかりはどうしようもない。

まあそんな、秋の憂鬱のただ中に浮かんでいるのです。
この閉塞感を慰めるために、最近覚えてしまった遊びがある。

グリーン車で帰るのだ。
職場から自宅まで、中距離電車で3駅。正直20分足らず。
平日だとグリーン料金は780円もする。とんだ大名旅行だ。

駅のNEWDAYSで買ったアルコールとつまみ。
あるときはハイボールとチー鱈。
あるときは缶チューハイにいかり豆。
ビールと一緒にポテチも良い。
お供は決まって東京スポーツ

E231系だかE233系だかの、2階席の湾曲した窓ガラスに都心の灯りが溶けていく。

どこかへいく勇気がないので、こんなことをしている。
虚しく、馬鹿らしいのかもしれない。
それでも、窓の框に置いたウィスキーは、ここではないどこかへ向かう旅の気配が溶け込んだ味がするのだ。

追記


水曜日だけれども、グリーン車で帰った。
なんせ千葉まで行ったのだ。松戸や市川ではなく、千葉。千葉市、チバ・シティだ。
そうなると、東京駅まで40分かかる。もう、グリーン車飲酒のチャンスとしては絶好なわけだ。

改札内駅ナカNEWDAYSに全てを任せるのもそれはそれで"旅っぽい”のだけれど、あえて改札外のコンビニに寄る。
改札内でも探せばあるだろうが、ぬか漬けを買う。
ここは確実性重視だ。野菜系のつまみが欲しかったのだ。

旅っぽいといえば駅弁だが、夜になると駅弁は割引で売られているのでそれを狙う。
幸い、千葉駅には万葉軒という地場の駅弁業者がある。
ここの名物駅弁、トンかつ弁当700円を3割引でゲット。なんともこれは嬉しいじゃないか。

そして最後の仕上げで隣のNEWDAYSへ。
40分も乗るのだから、ビールはロング缶だ。東京スポーツも忘れずに。
発車間際の総武線快速5号車に乗り込み、2階席の一角に陣取れば上の写真のごとく。


万葉軒のトンかつ弁当は、こんなに「カツです!めしです!!!以上です!!!!!」みたいな見た目なのに、なんとも優しく懐かしい食べ物なのだ。
添えられたごま昆布、筍の煮物、十分な量のしば漬け。どれもいい。

なんというか、悪い遊びの手際が良くなってしまったような気もする。
それでも、江戸川の鉄橋を渡るころには、すっかりいい気分になっていたので何の心配もいらない。

うなぎ風カマボコでうざくを作りビールを飲む

本来は別のオリジナルがあってそれを模倣した代用品だったはずなのに、もはや別のオリジナリティを持ってしまうものがある。
食べ物でいうなら、がんもどきが代表ではないだろうか。
「あれは本来、精進料理で雁の肉だんごを模して~」などというのを聞いて知ってはいても、正直なところ雁の肉だんごなんてものを食べたことがある人が今の世の中にどれほどいるのだろう。
というかそもそも、がんもどきと雁の味というのは本当に似ているのだろうか。雁といっても鳥なわけで、鶏肉のだんごとどれほど違うのだろう。
いやそれとも、今の我々が知るがんもどきは「がんもどき」としてのアイデンティティが確立され、がんもどきとして洗練され、先鋭化したがんもどきなのではないか。本来の、雁の代用として作られたがんもどきは、もしかしたらもっと肉肉しく、荒々しいがんもどきだったのかもしれない。

とまあ、ここまでがんもどきの話をしておいて何なのだけれど、今回はがんもどきの記事ではないのだ。


7月の土用の丑の日を前に、スーパーでこんなものを売っているのを見つけて買ってみた。
www.sugiyo.co.jp

うなぎの蒲焼を模したカマボコ。こういったものがあるのは以前より知っていたけれど、買ってみたことはなかった。
冒頭のがんもどきの話の裏返しになるが、こういう「モドキ」食品を前にした時にに感じる「実際どうなの?言っても本物とは違うんでしょ」という疑念は、恐らく多くの人がわかってくれるのではないか。
要は、本当にウナギの代用品として十分な味なのか、はたまた「別物」としての美味しさを確立しているのか。そこのところを疑ってしまうから、中々手を出せずにいたのだ。

で、これ。
僕の結論としては、アリ。
十分、うなぎの蒲焼の代わりをしてくれる味だ。
いやはや、すごいですよこれ。


我が家では、うなぎの蒲焼を買ってくると少し残しておいて、翌日にうなぎを巻いた卵焼き「う巻き」にして出てくる文化があった。恐らく、母が好きなんだろうと思う。家庭における食文化というのは、意外なくらい作る人の好き嫌いに支配されているものだ。
タレの味で食べてしまうようなものだから、う巻きにするうなぎなんて安いもので構わない。
そこに来て、このカマボコなら安いうなぎよりよっぽど安い。皮のブリッとした食感がわざとらしく再現されているのも憎い。


そしてうなぎの蒲焼ふうカマボコを使った僕の本命がこれ。うなぎの蒲焼とキュウリの酢の物、「うざく」だ。
貧乏性だから、本物のうなぎの蒲焼を買えば、とてもではないが勿体なくて酢の物なんぞにはできない。
そこにきて、このカマボコなら気兼ねなく酢の物にできる。細かく切ってしまうものだから、ソリッドな見た目も気にならない。


そしてこの「うざく」というのは、とてもとてもビールに合う。
それもヱビスビールとか、キリンラガービールとか、どっしりとしたクラシカルな味のビールを、「コップ」と呼びたくなるような小さいグラスでやるのがいい。
実に夏向きの、贅沢なつまみが手頃な値段で済んでしまう。
この感動を僕は誰かと分かち合いたくて仕方がない。まだまだ暑くてビールは美味いだろうから、ぜひともカマボコうざくで一杯やってみてほしいのだ。

この湿度の底で、どこかの誰かの日常みたいなメシを食う。


6月もじきに終わろうかというところだけど、まだまだ東京は梅雨の真っ盛りだ。
自分という生き物が大気の底を這い回る存在であることを、大気に満ち充ちた湿度が教えてくれる。
羽田の離着陸ルートが変わったのなんてもうずいぶんと前だけど、風向きによっては離陸してまだ高度の低い飛行機が我が家の上を飛んでいく。
そうなると、もうダメ。途端に、ここにはいたくなくなってくる。
夏の間、どうにかフィンランドの湖畔あたりで仕事をさせてくれないだろうか。

それに、こうもジメジメ、ムシムシとしてくれば人並みに食欲もなくなってくる。
というより、「自分が何を食べたいのか」というのがわからなくなる。何を作ればいいのかもわからない。
昼間は蒸し暑くても夜になると案外なんとかなるものだから、「もう、素麺で……」なんて気持ちにもなりきれない。

知らず知らずにそんな気持ちをぶつけていたのか、最近はよくわからないものを作って食べることが多かった。
特にどこの地域の、というものでもない。こだわりを持って、丁寧に作ったわけでもない。
外国の、田舎の町で1軒だけ営業している食堂があったから入ってみて、何もわからないから隣のトラックドライバーが食べているのと同じものを身振り手振りで頼んだら出てきた感じ。
どこかの誰かにとっては特に代わり映えのしない日常を、非日常として消化する感じ。
こういう料理を、僕は「異国メシ」と呼んでみたりしているのだ。

豆をトマトで煮たやつ


言ってしまえば、チリコンカンというやつだ。あまり食べる機会はないけれど、ハレの匂いもしない料理ではないだろうか。
「豆は栄養あるんだ。豆食ってるだけで人間、死にゃしねェんだ」と、砂漠の傭兵戦闘機部隊の兵站を支えた、業突く張りのジイさんの顔が思い浮かぶ向きも多いかもしれない。
作り方もシンプルで、刻んだニンニクと玉ねぎを炒めて、挽き肉も入れる。ここでセロリも入れると、すごくアメリカっぽい味になる。
トマト缶と、これまた缶詰になっている水煮の豆を入れて煮るだけだ。乾燥豆を水で戻してもいいのだけれど、あいにくそんな元気はない。
豆はなんでもいいのだけれど、赤いエンドウ豆、キドニービーンズというやつがメインだと異国みを感じる。ひよこ豆、レンズ豆もいいし、実はトマトを大豆の相性はすごくいい。
まあ、なんだ。ミックスビーンズを使うのが一番楽だ。


味付けはコンソメ、チリパウダー、塩、コショウ。どうせ大量にできてしまうだろうから、なるべくシンプルに済ませたほうが飽きない。カレー粉を投入すれば、しっかりした味の豆カレーにもなる。

モロヘイヤのシチュー


実はモロヘイヤがけっこう好きだったりする。
茹でて刻んで、醤油・かつぶし・納豆と一緒にかき回したのを、あつーい飯にかけてわっしわっしと食うのがたまらない。中々に旨味のある野菜だと思う。

そんなに安いものではないのがネックだが、近所のスーパーにはいつも売っている。その割に売れはしないようで、仕事終わりに行くとよく半額になっているのでありがたく買ってくる。
一袋50円なんかだと何も考えずにカゴに放り込んでしまうわけで、そんな時には煮てしまうわけだ。
茹でたモロヘイヤを、フードプロセッサーでみじん切りにする。フードプロセッサーほどありがたいものはこの世にあまりないだろう。
刻んだニンニクと玉ねぎを炒めて、これまた半額になっていたラム肉も放り込む。牛肉だって鶏肉だっていいし、別に肉なしでもいいと思う。モロヘイヤと水を入れて煮るだけだ。

たまたまではあるのだが、ちょうどこの頃僕の中でライ麦パンの波が来ていた。
シナモンが効いた緑色のドロッっとしたシチューと、バサッとした黒パンの取り合わせは実に「どこかの誰かの日常」を味わせてくれるのだった。

苦力飯(くーりーはん)


「20世紀はじめの上海あたりの裏路地で、半裸の苦力がしゃがみこんでかっこんでいそうな飯」を略して「苦力飯」と呼ぶ。ことにしている。
mikoyann.hatenablog.com
これについては去年も書いたのだけれど、台湾だか香港だかの家庭料理の定番で、豚肉と長ネギを醤油と五香粉で煮込むやつだ。
今年もすでに1度作っているのだけれど、考えてみればこれも異国メシに近いのかもしれない。


なんとくなく気づいたが、異国メシの「異国」感の源はよくわからずに放り込んでいるスパイスな気がしてきた。
カレーの次の異国メシ。提唱していけば、流行ったりしないだろうか。