濹堤通信社綺談

江都の外れ、隅田川のほとりから。平易かつ簡明、写真入りにて時たま駄文を発行いたします。

ブロッコリーさんとぼく

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 ブロッコリーと、暮らしている。
 「育てている」というほどに、丹精込めてはいない。ベランダに置いた植木鉢に、ブロッコリーの苗を植えた。毎日水をやった。そうしたらブロッコリーが勝手に育った。まあそんな塩梅である。
 一緒に暮らしてはいるが、間違いなく血縁関係はない。籍も入れていないから、有り体に言えば同棲ということになる。
 僕は、ブロッコリーと同棲している訳だ。

 ここのところ、毎年のように夏には朝顔を植えている。その時も思ったが、毎朝植物が育っていく様を見るのはなんとなく気分がいい。写真の1枚でも撮って、Twitterに上げてもみようか、という気にもなる。それで「いいね!」でもしてもらえれば、僕の自己顕示欲も満たされる。
 かように植物と一緒に暮らすのは、とりあえず悪いことはない。食べれるものなら申し分ない。バジルなんかは、ほったらかしておけばワシャワシャ繁るので、必要なときにその都度ブチブチと千切って使えばいい。「ジェノベーゼが高い」とお嘆きのあなたには、特にオススメしたいものだ。


 とはいえ、ブロッコリーとの同棲生活には心配事がなかったわけでもない。収入も不安定だし……
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 我々家族はどこからか「10月には食べられる」という情報を得て、それを信じていた。毎朝毎朝、ブロッコリーが育っていくのを楽しみに確認して、それぞれの人生を過ごしていた。
 ところがいつになっても一向に、「ブロッコリーらしさ」を持った、食べられそうなところが出てこないのだ。むやみやたらと図体ばかりデカい、食べられるんだか食べられないんだかさっぱりわからん葉っぱばかりがモサモサと生えてくる。いつしか、家族の中でブロッコリーの育成状況に関する会話はなくなった。暗黙のうちに、タブー視すらされるようになった。
 同棲相手のブロッコリーさんが厄介者扱いされていく様を、僕は黙って耐えるしかなかった。


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 そんなブロッコリーたち(そう、実は2鉢ある)だったが、最近ようやく「ブロッコリーらしく」なってきた。大変よろこばしくある。
 「そろそろ収穫かな」などと、家族の会話にもブロッコリーが戻ってきた。素晴らしいかな、ブロッコリーのある生活。みんなもベランダでブロッコリーを育てて一喜一憂しつつ、柔らかな感情を持って生きていけばいいと思うよ。スモアを作ってココアを入れて、暖炉の前の揺り椅子で、読みさしのサマセット・モームを開いて……いやまあ家にはガスファンヒータくらいしかないですけど。

 ただ、困ったことはないでもない。
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 鳥の糞害である。
 最近めっきり寒くなり、木々の葉っぱもすっかり落ちた。そんな中で我が家のベランダの片隅で、すくすくと勝手に育ちつつあるブロッコリーたちは、貴重な緑として鳥類に目をつけられたらしい。
 散々葉っぱばかりがモサモサ繁っていた時に、悔しいので何とかならないものかと思い、利用方法を調べたことがある。するとどうも、ブロッコリーの葉というものは食用になるらしい。人間様が食べるくらいなら、当然鳥だって食べるだろう。
 そんなわけでお鳥様は、我が家のベランダでゆっくりと新鮮野菜を味わい、ご丁寧にウ◯コまで垂れてから飛び立って行かれるのである。これではまるで、鳥が我が家のベランダで便所飯をしているようで大変に腹立たしい。僕としては責任鳥に文書をもって正式に抗議する構えであるが、母親による収穫のほうが早いかもしれない。

 同棲相手を「食べる」日が、刻一刻と近づいている。