濹堤通信社綺談

江都の外れ、隅田川のほとりから。平易かつ簡明、写真入りにて時たま駄文を発行いたします。

端っこと境目

 「橋ハ端ッコ、坂ハ境ヒ目」という言葉が、塚原重義監督のアニメ『端ノ向フ』に出てくる。
 橋にしろ坂にしろ、異なる2つの場所を繋ぐものである。その意味でまさしく「端っこ」であり「境目」というのは的を得ているだろう。
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 僕の実家というのは足立区のいわゆる「北千住」と呼ばれるところだ。なぜ「」つきで書くかというと、実は北千住という地名は行政区画の上では存在しない。荒川区にある南千住と異なり、本当のところは方位をつけず単に「千住」という。
 この千住というところは、実はどこに行くにも橋を渡らなければならない。北を荒川放水路、南を隅田川に挟まれた大きな中州のようになっているのが千住というところだ。
 どこからどこまでを「地元」というかにおいて、僕の中で境界になっているのは間違いなく川であり、橋だ。橋を渡ると隣町。千住大橋ならば南千住だし、千住新橋だったら梅田・五反田。西新井橋に尾竹橋、堀切橋に綾瀬橋。
 地図の上では小台や宮城、それに新田といった、千住と同じように荒川放水路隅田川に挟まれた足立区の地区には橋を渡らずとも行くことができる。しかし、これらの地区は交通の点では王子や赤羽といった北区の駅との結びつきが強く、千住に育った僕からしたら地域としての連続性に乏しく思える。
 小学生の頃、橋を渡るというのは一大イベントだった。いや、電車で塾通いをしていたから日常的に川は渡っていた。徒歩、ないし自転車で橋を渡って隣町に行く、というのが間違いなく冒険だった。
 特に区を跨いだ時は軽い異世界旅行だ。すぐ隣のはずの荒川区墨田区でも、自分の住んでいるところとは何かが、何かが違う。それは、街中に貼られている選挙ポスターの顔ぶれだったり、看板の隅に描かれている区のシンボルマークだったりする。全体的には見慣れた東京の「下町」の景色のようで何かが違う、というのは、なんとなく夢の中にいるようで心がざわついたのだった。この心の引っ掛かりは、僕にとって色々なところに影響を及ぼしているような気がする。


 冒頭で紹介した『端ノ向フ』でも、橋を渡ることは大きな意味を持つ。その意味とは何なのか、本当にいいアニメなのでぜひとも視聴した上で見つけてみてください。ちなみにこの作品の舞台、僕の実家のすぐ裏で、まさしく僕にとっての「橋の向こう」だったりする。
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 さて、橋に対して坂というものを意識するようにったのは結構遅い。何せ、千住というところには坂らしい坂が全く無い。沖積平野だからね。
日常的に坂というものに触れるようになったのは、中学に入った頃だと思う。僕の通った中学・高校というのは港区元麻布の高台にあって、どの駅から通うのにも坂を登らなければならなかった。最寄り駅とされているのが日比谷線の広尾で、そこからは南部坂や北条坂をえっちらおっちら登っていくのだ。坂がないところで育った僕は次第にこれが嫌になり、一番坂がゆるやかな六本木で電車を降りるようになった。僕がよく人に「毎朝六本木ヒルズを通って通学していた」というのの理由である。
 とまあ、こんなふうに日常的に坂に触れるようになって気づいたことに、「都会の坂には名前がついている」というものがある。これは僕にとっては新鮮なものだった。
 先に上げた北条坂・南部坂というのは、どちらも江戸時代に付近に大名屋敷があったことに由来する。ここから、麻布一帯の高台が武家地として利用されていたことがわかる。坂に注目して歴史地理学めいたことをする、というのがちょうど流行っていた時期でもあった。
 開放河川という視覚的に実に明確な境界をまたぐ橋に対して、坂が2つの地域を繋ぐ様子というのは実にゆるやかだ。小さい、短い坂ならばささやかなものと言いかえてもいい。でもまあそれが坂の良さなのかもしれない。
 
 今住んでいる家というのは、まさに坂の途中にある。斜面に建っている一軒家だ。
 ここに住むまで、赤羽という街に対するイメージは主に飲み屋の多さだった。安くて美味い飲み屋がいっぱいあって、午前中から酒が飲める。『孤独のグルメ』で描かれていたあれだ。
 現在の同居人の一人となる男から場所を教えられ、初めて家に来たときは驚いた。赤羽はこんなにも坂が多いところだったかと。前述の飲み屋街は赤羽駅の東口なのに対して、今の家は西口にある。こちら側はまさに武蔵野台地の端っこで、平野と台地の境目なのだ。GoogleMapの教える最短ルートは、ヒトデの腕のように伸びた台地をいくつも跨ぐものだった。ふと視界が開けると、眼下というほど下でもないところにべったり屋根が張り付いているのが見えて、違う街に住むのだという実感が沸々とわいた。
 坂を登りきると、そこはちょっとびっくりするほどのお屋敷街だった。坂の下と上で、家の大きさが全然違うのだ。つまり「ああ、坂は境目なんだ」と初めて理解ができたのは、実はけっこう最近のことなのである。

 以下、お料理のコーナー

ガンボライス その他

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 ガンボというのは、まあざっくり言えばルイジアナ州のオクラ入りトマトスープである。スパイスをガッツリ使ってとろみがついているとなれば、ご飯に合わないわけがない。実際カレーやハッシュドビーフと同じ感覚で食べることができる。これから夏にかけてオクラが安くなるかと思うので、カレーに飽きたらぜひおすすめ。作り方は以下。
 


 左にしいたけが写っているが、大きなしいたけを焼いただけのものに醤油を垂らしてかぶりつくというのはいい。端的に幸せだ。ツナマヨを盛って焼くのもひとしおだ。この美味さを味わえないのだから、しいたけ嫌いの方は人生の40%を損していると言っても過言ではない。これは冗談ではないのだ。

ボウルに一杯のポテサラ

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 僕の作るポテトサラダは、じゃがいもを酒瓶で潰している。今回は黒霧島だった。別に銘柄にこだわりはなく、手近にあるものを使うだけだ。
 同居人が買ってきてくれたポテトマッシャがどうにも使いづらく、酒瓶にビニール袋を被せた物の方がはるかに具合がいいのだ。味付けは、ほぼマヨネーズ。甘いポテサラが嫌いなので、砂糖はほんの少しだけ。

パンプディング

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 まあ要するに、フレンチトーストの寄せ集めバージョンみたいなものだ。冷凍庫に残った食パンが余っていたので、それらを一掃するために作った。月曜の朝に。結局のところ、暇で暇でしょうがないというわけだ。