濹堤通信社綺談

東都の外れ、隅田川のほとりから。平易かつ簡明、写真入りにて時たま駄文を発行いたします。

午前5時の小宇宙、松屋で朝定食を食え

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 土曜の夜、高校来の親友と酒を飲んでいた。
 4月に都条例が改正されて屋内全面禁煙になったあと、なんやかんやで初めて「飲み屋」というところに行った。すると、路地に面した店なんかは外にテーブルを出している。ここなら煙草が吸えますよ、ということらしい。梅雨曇りの空の下、暴力的なまでの湿度に満ちた大気の底でサッポロ赤星をやりながらピースを吹かすのは悪くなかった。
 ところが2軒めとなると、これが中々見つからないのだ。その夜の赤羽はどこも妙に混んでいる上に、喫煙者二人のお眼鏡にかなうようなお店はかなり少ない。
 一通りウロウロしたあとで、「じゃあ、ウチ、来る?」となった。飲んでいるうちに、向こうの終電がなくなった。そんなわけで、野郎二人で朝まで酒を飲んでいたのだ。

 午前4時にもなれば、腹が減ってくる。別に朝飯の用意をしてもよかったのだけれど、ふと松屋に行きたくなった。正確には、松屋の朝定食が食べたくなった。

 僕は松屋の朝定食が好きなのだ。
 実家は6時過ぎには朝食が用意される家だったから、よほどのことがない限り朝食は家で摂る。すると、そもそも外で食べる朝食というのはもう非日常だ。朝、よほど家を早く出る必要があるとか、あるいは旅行の最中だとか。だから松屋の朝定食を食べるとワクワクする。普段の日常とは違う何かが始まる気がする。同時に僕は「日常」が好きな人間だから、そういうものから切り離されてしまうことにドキドキさえしてしまう。我ながら、松屋の朝定食でこんなに感情を持てるのだから幸せなんだとは思う。

 というわけで、松屋で朝定食を食べる。
 普段ならば迷いなくソーセージエッグ定食なのだけれど、何を思ったのか目玉焼きをダブルにしてみた。
 そして断言する。松屋の朝定食は、枯山水だ。午前5時の小宇宙は、このお盆の上で完成する。

 何を言っているのかと思われるかもしれないが、要は「松屋の朝定食には無限の可能性がある」「百人いれば百通りの食べ方がある」ということだ。僕はこれからめくるめく松屋の朝定食の世界をあなたにご覧進ぜる。心配しなくていい。僕はこれで、すでに2人も松屋の朝定食を食べたくさせたことがあるのだ。

 そもそも、松屋の朝メニューは5種類存在する。それに、選べる小鉢が4種類。この時点ですでに20通り。なんてことはない組み合わせですね。だがしかし、選べるというのはすなわちリッチだ。リッチは端的に幸福だ。もしも、あなたの後ろに誰もいないのであれば券売機の前で存分に悩むことができる。悩めるというのも幸せだ。そうでないならば、直感に従って決めるべきだ。先述の通り、僕はここではソーセージエッグ定食を頼む。そして選べる小鉢は、必ずミニ牛皿。この時点で迷わなくても、この先に沢山の組み合わせが待っている。松屋の朝定食は、間違いなく幸せに満ち溢れている。

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 席について食券を渡せば、2分もせずにやってくる。そう、幸せの小宇宙だ。所狭しに並べられた小皿に並べられたおかずを見るといい。朝食にこれだけの品数を自分で用意する手間を想像すると、もはや感服の域にまで達してしまう。このあとの食べ方は、もう人それぞれだ。自由にやるといい。参考までに、僕の食べ方を教えよう。

 まずは、目玉焼きに添えられた生野菜。松屋ではいわゆるサラダのことを生野菜と呼ぶ。シンプルにして力強く、気取ったところがない素敵な呼び名だと思う。机の上には数種類のドレッシングが用意されているだろう。だがしかし、僕は味のついてない生野菜をモサモサと食べるのがわりと好きなタイプの人間だ。前世はラクダか何かだったのだと思う。そんなわけで、キャベツそのままの味を噛み締めながら、これから先の「戦術」を練るのだ。まあ、決まってるんだけど。

 このお盆の上で一番の強敵、それは海苔だ。あんなナリをしているが、実は味付け海苔ではない。味なし。プレーン。素海苔だ。一部の人にはこれだけでもう降参だろう。さらなることにこの海苔、ものすごく分厚くてコシがあるのだ。「パリパリ」という小気味いい食感とは無縁だ。ともすればカーボン紙を咀嚼するかのごと強靭な海苔だ。褒めてます。この海苔をどうするか、ここが松屋の朝定食に対峙するにあたっての最大の難関なのだ。

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 僕の答えは、こうだ。味噌汁に入れる。松屋の味噌汁の実は、ワカメと油揚げだ。不満なんてものは全く無いが、もしももう一つ実があったなら?そこであの海苔だ。コシがある故に、味噌汁に入れても溶けてデロデロになることがない。僕はこれを発見したことで、松屋の朝定食がそれまでの何倍も素敵なものになった。松屋の朝定食についてくる海苔に困っているあなたにこそ、試してもらいたい。ちなみに隣の男は「好きだから」という理由で最後にバリバリと食っていた。松屋の朝定食の食べ方は無限大なのだ。

 隣にあるのが目玉焼き丼である。半熟の目玉焼きを白い飯に乗っけて、黄身を箸の先でプツッと割る。そこに醤油をピピピッと垂らすだけで出来る美味いものだ。これをワシワシと食い進めてく幸せが、午前5時の松屋にはあるのだ。
 しかしながら、これだけでご飯を食べ終わってしまってはいけない。選べる小鉢のミニ牛皿がある。貧乏性なので、せっかく松屋に来たのだから牛めしも食べたい。僕は牛丼を食べるならば、絶対に「つゆ抜き」を頼む。つゆだくを頼んだ隣のサラリーマンに驚愕の目で見られたことは数知れない。それでも僕はつゆ抜きを頼む。もう最後の一滴まで絞ってくれていい。丼もの全般でそうなのだけれど、底まで汁でビシャビシャになっていると無性に悲しくなってしまうのだ。お茶漬けなんかはそういうものとして食べることはできる。

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 汚い写真で申し訳ないが、これが僕の牛丼の食べ方だ。紅生姜は具の一つなので、存分に入れるといい。汁を切った牛丼なので、紅生姜の味がぼけることがない。いつからか松屋はプレミアム牛めしに黒胡麻焙煎七味なるものをつけるようになったが、生憎僕は使ったことがない。机の上にあるボトルから、昔からおなじみの七味をふんだんにふりかける。そうしてまた、ワシワシと食い進めていく。味に飽きたら、残しておいたおしんこを挟む。そして牛めし。最高の一日が始まる予感がしてくるだろう。これでいて、500円でお釣りが来るのだ。

 お盆の上という限られた空間、そこにあるいくつかの小皿。それだけなのに、無限の楽しみ方ができる。これは、小石と岩だけで風景を表現してしまう枯山水に通じるものではないだろうか。故に、松屋の朝定食は小宇宙なのだ。360円で楽しめる小宇宙を、僕は他に知らない。