濹堤通信社綺談

東都の外れ、隅田川のほとりから。平易かつ簡明、写真入りにて時たま駄文を発行いたします。

一人で飲む酒のこと

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 日々、キッチンドランカーしている様子ばかりをTwitterにあげているので、人が見たら僕のことを相当に呑兵衛だと思うかもしれない。実際、愛すべき友から心配していただいたこともあるのだが、僕はと言えば自分ではあまりそういうふうには思っていない。
「おとなになるということは、自分の酒量をわきまえることさ」
 ヤン・ウェンリーがこう言っていた。それに従えば、僕はもう「おとな」になったのかもしれない。「なった」のか、それとも「なってしまった」のかはわからない。でもまあ、吐くまで飲むようなことは最近たしかに減ったのだ。

 僕はもともと酒には強くない方なので、酒で前後不覚になるということはめったにない。と言うより、なれない。ビール1杯で真っ赤になるし、短時間で飲めば吐き気がやってくる。二日酔いなど待たずに、数時間で頭痛に襲われる。それを過ぎればもうまどろんでしまう。朝にまで酒が残っているという経験をしたことがないのは幸せなのかもしれない。そんな酒に弱い僕だから、何かから逃げようと思って飲酒をしたことがない。できないんだから、したことがない。これもまあ、飲酒という行為に対するあり方としては幸せなんだろうと思うことにしている。
 それでも、酒を飲み始めて間もない頃は、場に飲まれて自分の酒量を過ぎることはあった。酔っ払って走り回って、段差を登りそこねて足の裏を強打したこともある。高校の同期と痛飲し、肩を組んで高校の応援歌を歌いながら夜の渋谷や吉祥寺を闊歩するという、平成生まれの若人とも思えないエピソードも1つや2つではない。そういうことを、ここのところしていない。コロナ禍で人と飲む機会が減ったせいかとも思ったけれど、もう2~3年はそういうことからご無沙汰な気がする。社会性を身に着けたのか、それとも牙を抜かれてしまったのか。でも、それになんとなく寂しさを覚える当たり、僕はもう「おとなになってしまった」のかもしれない。

 そんなわけで大人になってしまった僕は、自分の酒量を知ってしまった。人と店で飲むのであれば、2杯。3杯飲むこともあるけれど、そうなるとしばらくしたらもう頭痛だ。ビール、酎ハイ、ハイボール、日本酒。このあたりから、その日の気分で2杯を組み合わせるのが僕に幸せを与えてくれる程度の酒量というわけだ。ただし、ワインはいけない。特に赤ワインを飲むと、尋常でない頭痛に襲われることになってしまうのだ。
 しかし一人で飲むとなると、話が変わってくる。人と話さずにいると、どうしたってペースが早くなる。ビールは好きだけれど、数分で空けてしまうからすぐに酔っ払ってしまうのだ。だから、一人で飲むのであれば1杯が僕の酒量だと思うことにしている。一人でさっさと酔っ払ったって、楽しいことも特にないし。
 コロナ禍のおかげで家での一人飲みの経験も増えて、段々と上手くなってきた気がする。酒を薄く割るとか、腰を落ち着けてじっくりと飲むとか、そういうことができるようになった。それで気づいたのだが、僕はどうも洋酒党らしい。できることなら古今東西の銘酒を揃え、小粋なカクテルで夜を楽しみたいと割と本気で思っている。『今宵もサルーテ!』、いい漫画ですよね……しかしながらそんなことを許す財布があるでもなく、できることと言えば蒸留酒ソーダで割るくらいだ。

 夏の暑い盛りは、存分にソーダ割りをした。例えば、ジンのソーダ割り。ウィスキーの原酒不足に陥ったサントリーが流行らせようとしているが、そんなのの前から僕はすでにやっていた。ライムもレモンも入れず、本当にジンをソーダで割っただけで十分だ。僕はボンベイ・サファイアでこいつをやる。揚げ物にも浅漬けにも合うからおすすめだ。
 もう一つやっていたのがカンパリソーダ。食前酒として名高いカンパリだが、ソーダで割るとどんな食事にも合う。なんと、和食にだって合ってしまう。考えてみれば苦いリキュールのソーダ割りというのは、乱暴に言ってしまえばビールに近い味わいがあるのだ。肉じゃがにカンパリソーダ、意外なほどのマリアージュを示すのでぜひお試しあれ。

 夏が終わって秋になり、夜が長くなってくるとウィスキーの季節だと思う。もしも今後、1種類の酒しか飲めないとしたら、などという意味のない仮定をすれば僕はウィスキーを選ぶ。
 僕がウィスキーを気に入ってる理由の一つに、つまみがなくても飲めるというのがある。ビールやジンのソーダ割り、日本酒やらウォトカなんていうのを飲んでいたら、つまみがなくては死んでしまう。もちろんウィスキーを飲むにあたって、ナッツやチョコなんかがあれば嬉しいのは確かだ。でもまあ、無いなら無いで別にいい。「おれは酒を飲んでいるんだ」という実感を味わうのに最適なのがウィスキーなのだ。
 それに、ウィスキーほどじっくりと飲める酒というのも無いように思う。なんせ、そのへんで変えてしまうお手頃価格のウィスキーだって、樽の中で10年やそこらは熟成されているのだ。それを数秒で飲み干してしまったら、ウィスキー自身にも、携わった造り手にも申し訳が立たないような気がする。落ち着いて、じっくりと向き合ってやるのが、ウィスキーに対する正しい姿勢であると僕は思っている。

 ウィスキーの銘柄は数多とあるけれど、僕が気に入ってるのがタラモア・デューアイリッシュではジェムスンの2番手に位置する人気銘柄だそうだ。ピートを焚かないアイリッシュらしく、スモーキーさというのとはほど遠いけれど、なんというか豊かな穀物の味わいのある酒だ。友人に飲ませたら「麦焼酎じゃんこれ」と言っていた。ストレートはもちろん、これからの時期はお湯割りがいい。こいつをお湯で割ってやると、湯気の中に麦の香りがふわっと上ってきて、実に豊かな落ち着いた気持ちになれる。秋の夜長にうってつけな、そんな酒だと思う。
 それにタラモア・デューはコーヒーに合う。最近、アーマッドのイングリッシュ・ブレックファーストにドハマリしてがぶ飲みしている僕だけど、本来はコーヒー党だ。タラモア・デューアイリッシュコーヒーに最初に使われた銘柄だそうだけれど、生クリームなんかを用意するまでもなく、熱いコーヒーに垂らしてやるだけで美味いからずるい。永倉万治がバックパッカーをやっていたころ、アイルランド人のじいさんから習ったウィスキーの飲み方に、ストレートを呷ってから熱くて濃いコーヒーを啜ると「心に強い三角形」ができるというのがあった。それの変形というか亜種というか、そんな感じかもしれない。確かに心がしっかりとしてくる感じがする。件のじいさんはは確かジェムスンだった気がするけれど。

 ドギツいウィスキーが飲みたくなったとき、最近愛しているのがアイラ・モルトアードベッグ。バシバシに利いたスモーキーフレーバーと、激烈なヨードの香り。人によっては「病院の匂い」と例えるくらい、強烈な香りのあとからやってくるのは意外なほどの優しい甘さ。かと思えば、喉に落ちる瞬間ピリッと後味を効かせてくる。こいつをストレートでやるのも、夜を楽しんでいる実感がわいてくる。何なら、いまもやっている。午前中の10時過ぎだけど。
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 そろそろ、冬がやってくる。夜はまだまだ長くなる。素のウィスキーもいいけれど、せっかくならば自分の作った模型を見ながら飲んでやりたい。いま、HOナローのレイアウトを作ろうと思っている。B4サイズの小さなボードの上に敷かれた線路を、自分で作った車両がぐるぐる回っていたらどれだけいいだろうかと思う。目の中に汽車を走らせても痛くない、とは内田百閒の言葉だけれど、それも何となく分かる。なんてことを考えてウィスキーを舐めているだけで幸せになれる。完成するのは、きっと当分先のことだ。