濹堤通信社綺談

江都の外れ、隅田川のほとりから。平易かつ簡明、写真入りにて時たま駄文を発行いたします。

煮欲を高めよ

 「暮らしが好き」なことは、前にも書いた。
 
mikoyann.hatenablog.com

 僕個人の、言ってみれば「一人称単数の暮らし」は好きだし、出来る限りのことはやって、その上で楽しんでみせているつもりだ。
 「二人称の暮らし」に興味がある……とすると、なにやら怪しげな雰囲気が漂ってくる。「『あなたの暮らし』……すべてを知りたいの……」などと言って盗聴器をしかけたりする激重感情湿度高目前髪重め女みたいになってしまうけれど、そういう趣味はないのでご安心されたい。世間話の範疇でなら興味はあります。
 「三人称の暮らし」には、当然ながら興味がある。特に三人称単数、すなわち特定の誰かの暮らしというものが見れる日記やエッセイは面白い。今の世の中だったらブログやSNSだろう。僕もこうして、誰かに対して僕の暮らしをご開帳あそばしている。
 僕は内田百閒が好きで、「もしも無人島に1冊本を持っていくとしたら……」なんて意味のない話をするとしたら内田百閒の『御馳走帖』を選ぶだろうと思う。食べ物や酒・煙草に関するエッセイがまとまっていて、それでいて僕の嫌いな「美食」の要素が一切ない。戦時中、食べ物に困って「食べたいものリスト」を作るにあたり、「かまぼこの板に包丁を立てて残りを削ったものに生姜醤油をかけたの」を挙げることの何が美食だろうか。
 
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 美食家ではないにせよ、百閒は食い道楽……というか、自分が食べるものに関してめちゃくちゃうるさい。戦時中、空襲下の東京に暮らした百閒の日記である『東京焼盡』では、日々の食べるものさえ欠くような有様の中で、どうやって様々なものを手に入れるか。借金の天才と言われた百閒先生の手腕が光る瞬間が幾度もある。
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 僕が好きなのは、帝大農学部にいる知り合いから密造ウィスキーを手に入れて大喜びするが、2回めに貰いに行ったら「次はない」とやんわりと断られ、「そう言われると途端に不味くなってきた」と愚痴るところ。ああ、何たるへその曲がった天邪鬼か。僕も子供の頃から「あまのじゃくおくん」と呼ばれて育った人間だから、他人事には思えない。
 「三人称複数の暮らし」に対する興味というのは、それこそ地理学や人類学の分野だろう。僕の専攻は人文地理学で、その根源に「どこかの人々の暮らし」があるのだ、というのも前に書いた気がするけれど、面倒だからリンクを貼るのはやめておこう。

 そんな「誰かの暮らし」に対する興味はフィクションの嗜好にも現れていて、しっかりと人々の暮らしが描かれている、ないしそれが感じられる作品が好きだ。「空気感」とか「世界観」というのも曖昧な言葉でしっくり来なかったので、僕の中ではそういう基準での好みだということにしている。

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 秋になると、うちの母の「煮欲」が高まってくる。煮欲、というのは僕の造語だが、何かを煮ようという欲求のことだ。カレーでも、味噌汁でも、何かを煮たいと思えばそれは煮欲だ。これは人間の三大欲求に連なるものなのではないかと思っている。
 毎年のように作られるのが、いちじくの赤ワイン煮。我が家は一時期、福島県郡山市に住んでいたことがある。その頃の知り合いの伝手を通じて、毎年キロ単位のいちじくを仕入れては赤ワインと砂糖をぶち込んで大鍋で煮るのだ。「今年はないかも」などと言いつつ、毎年作っているのだから母自身も気に入っているのだろう。実際に美味く、特に汁がいい。これを冷凍し、ひと冬かけて食べていくのだ。無糖のヨーグルトに入れて食べるのが僕は好きだ。今年のぶんも貰ったけれど、食べ切れそうになかったのでだいぶ親友に上げてしまった。ご母堂に気に入っていただけたようなので何よりと思う。

 なぜこんな話をしたかというと、僕はこの母のルーティーンを「『ハクメイとミコチ』モード」と名付けている。そしてまあ、僕はこの『ハクメイとミコチ』という作品が好きなのだ。ハクメイとミコチ、というのは主人公の女の子二人の名前だけど、そんな彼女たちの身長は9cm。他にも、イタチやアナグマ、ネズミにトカゲ、コクワガタ……そんな面々が登場する森を舞台に、描かれているのはしっかりとした「誰かの暮らし」そのものだ。ハクメイは大工や修理屋、ミコチはお針子やったり、保存食品を作って卸したり。なにせ身長が9cmなものだから、普段見慣れている食材さえも大きく描かれて、それがたまらなく新鮮で、とてつもなく魅力的なのだ。
 アニメ化もされているし、原作の漫画も8巻まで出ている。もちろん1巻から読むのが普通なのかもしれないけれど、僕が薦めるなら4巻だ。
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 「ジャムと祭り」は、大量の木苺をジャムにする話。いちじくを煮ている母から『ハクメイとミコチ』を連想するのは、多分この話のせいだと思う。身長9cmの彼女たちだから、木苺と言ってもハンドボール大くらいに見える。そういえば、子供の頃に読んだ「こどものとも」にも、ネズミが木苺をジャムにする絵本があったな……と思ったら見つけた。白石久美子『ひめねずみのみーま』だ。いやあ、子供の頃からぶれていない。僕に若干の少女趣味の気があるのに、もしかしたら気づいた人もいるかもしれない。榛野なな恵Papa told me』の話はまた今度で……
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 その他にも、この巻には僕の好きな話が盛りだくさんなのだ。「大根とパイプ」では、ミコチの姉のアユネが訪ねてくる。土産が大根1本なのだが……当然巨大である。このアユネがパイプ喫煙者なのだけど、僕がこれに影響されてパイプに手を出したのはここだけの話。そうこうしているうちに、ゆっくりパイプを燻らせるような真似はとんでもない贅沢な世の中になってしまいました。今や「座って煙草を吸う」というだけで贅沢な時代です。
 この巻の最後に乗っている「夜越しの汽車」も大変にいい。夜汽車というのは夜の闇を切り裂くようにずんずん走っていくのに、車内には不思議なくらい穏やかで優しい気分が流れている。しかも、目的地には朝に着くのだ。なんだか時間を得したような気がする。夜汽車というのもこの国にはほとんどなくなってしまったけれど、この話が僕の心をずいぶん慰めてくれている。

 ところで今、我が家には大量のイノシシとクマの肉がある。ファミリー向けサイズの冷蔵庫にぎっしりと。
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 ひょんなことより猟師の知己を得たのでこういうことになっており、大変にありがたいことではあるのだけれども、「どうすっぺ……」というのが嘘偽らざるところである。
 イノシシはまあ、鍋なりなんなり、まだ「攻略法」を思いつくのだけれども、問題はクマだ。熊肉なんて、まだろくに食べたこともないのに何とかしなけりゃいけない。ということで、『ゴールデンカムイ』を読み返していたら頭がすっかりアイヌ料理になってしまった。これはもうアイヌ風の熊汁、「カムイ・オハウ」しかないのではないか?となり、さらに冷凍のギョウジャニンニクを買ってしまった。なんと1kg。岩見沢から直送!もう、ただの馬鹿なのは間違いない。
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 そんなわけで、近々こいつらを倒す宴を催すつもりでいる。どうなるのかは、またそのうち。