濹堤通信社綺談

江都の外れ、隅田川のほとりから。平易かつ簡明、写真入りにて時たま駄文を発行いたします。

焼肉とお引っ越し

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さて、引っ越しである。
2年弱続いた台地の端っこに建つ一軒家での「雑居」生活も終わり、いよいよ一人暮らしをしようとしている。
不安と期待の入り交じった……というのが一人暮らしの枕詞のような気がするけれども、正直なところ不安はない。実家を出て2年弱で、まあ大抵のことは一人でやってしまえるというのがわかってしまった。主観的にも客観的も、家事一切にあまり不安はない。行く手に見えるのは輝かしい未来ばかりというわけで、喜ばしいことこの上ない。

最近、とある女優さんがそうだというので少し話題になった適応障害というものを、実は僕も診断書に書いていただいている。
こいつは何らかのストレスが原因となって、情緒面や行動面で色々と厄介なことが出てくるというものだ。ストレスとなるもの以外においては案外普通に生活できたりするので、診断がつくまでは悩んだりしていたこともある。客観的に「あなたは○○ですよ」と言ってもらえることは、僕にとっては間違いなく安心に繋がった。
ストレスというものの原因になりがちなのは、やはり仕事なんだと思う。よほどのことがない限り、やらなければいけないし。ところが、実は僕にとって仕事というものは案外ストレスの原因ではなかったりする。1日に何時間も喋り倒すというのが主な仕事内容だが、人間とコミュニケーションが取れたりするのはそれなりに楽しいこともある。
とはいえ、さすがにこのところは疲れた。人生で一番忙しかったと言えるくらい仕事をしてしまったのだ。気持ちが落ち込むとか、暴飲暴食をするとか、胃が痛くなるとか、そういうところを越えると人間は狂うのだということを知った。知らなくてもよかったことだが、知ったからには色々生かすも殺すもあることだろう。

実のところ、今年の冬場の僕も中々こいつにやられていて、思えば普通に医者に行き、薬を出してもらうべきだったのだと思う。そんな状況を見かねたのだろう、愛すべき友人が焼肉をおごってくれるという、なんとも素敵極まる出来事があった。他人の金で食べる焼肉ほど甘美なものはない、とはよく言ったものだが、普通にいいお肉を食べさせてもらった。いい肉を食べることでしか出ない脳内物質があると、『きのう何食べた?』でシロさんが言っていたような気がする。本当にいいものを食べると人は笑うというが、実際その通り。笑えるネギタン塩を食べたこと、ありますか?嫌いじゃないなら食べた方がいいよ。
そのあと、その頃彼の住んでいた街を一回りして、お気に入りの店をいろいろと紹介してもらうなどした。台地の下、山手線の外側、いわゆる「下町」のド本流のようなところだ。なかなかここを目的地として来ることはないだろう、というようなところを連れ回してもらえるのは端的に楽しい。楽しいことは楽しめる、というのは本当に大事なのだ。

そこは、かつては松の根っこを波が洗っていたような低地だ。これから夏になったらきっと、どろりと重い空気の底に沈む。自分は大気の底を這い回る存在だと自覚させてくれることだろう。
連なる低い屋根に縁取られた空は、電線に区切られ、ところどころマンションに食われている。住んでいる人々は多分間違いなくぶっきらぼうでとっつきにくく、妙なプライドを持っている。
こんなところは嫌だと言う人はいるだろう。何がいいのかわからない人もいるに違いない。それでも僕には、素朴に、心から、いいところだと思わせる。

その街に今度住む。