濹堤通信社綺談

江都の外れ、隅田川のほとりから。平易かつ簡明、写真入りにて時たま駄文を発行いたします。

ヤケクソからタバコを吸わない一週間


実は、この一週間、煙草を吸っていない。なんと1本も。
煙草を吸うようになってから、よほど具合が悪くない限り煙草を切らしたという記憶がない僕が。
ここのところは1日にきっかり1箱吸うようになっており、ヘビースモーカー当落線上というところで踏みとどまっていたこの僕が。

いやはや、なんともまあ。自分が一番驚いている。まあ、誰にも言ってないので当然なんだけど。

入院していたとか、警察によって身柄を勾留されていたとか、はたまた嫌煙家のヤンデレ女子によって監禁されていたとか、そういう「吸いたくても吸えない」環境だったわけではない。
単純に、自分の意志で煙草を吸っていないのだ。
喫煙者にだけ分かってもらえたらそれでいい。ともかく、これは大変なことだ。

ためしに「禁煙」と検索してみれば、このご時世だ。ありとあらゆる自治体やら医療機関やら健保組合やらが禁煙の効能と方法について説いてくれる。
あれがすごく気持ち悪い。あれを読んで「ああ、煙草を止めよう」なんて染み入ってしまう人間はそういないだろう。
だいたい、人によってどうするかは全く違うはずだ。なので、僕が煙草を吸わないために何をしたかは簡単に。

・煙草を吸う際に定位置になっていたソファーに物を置いて座れなくする(組んでないプラモデルが役に立つ)
・仕事用のカバンから喫煙具一切を出す
禁煙パイポとミントタブレット各種を拠り所にする

これだけだ。逆にしていないことはといえば

・禁煙治療は受けない
・ニコチンパッチやニコチンガムも使わない
・自宅の灰皿、ライターはおろか煙草も捨てない
・煙草を吸わないことを誰にも言わない

世の中の禁煙の方法論が指し示すアドバイスをことごとく無視してここまで来た。
ここにきて誰かに褒めて欲しくなったので、1週間の苦闘を明らかにしようと思う。

唐突な初日

昔から、季節の変わり目というやつに僕はめっぽう弱い。
この冬から春への移ろいは中々に辛くて、気圧の変化やら寒暖差で自律神経がピキピキしているのを常に感じていた。
首から腰にかけて、背骨に沿って筋肉がかたーく強張って、ちょっとやそっとのストレッチではもうどうしようもなくなるのだ。
そうなると肩こりだとか、胃もたれだとか、逆流性食道炎みたいなのだとかが一気にやってくる。
おまけに仕事の環境が変わってちょうど1月が経ち、言ってみれば五月病真っ盛りみたいなメンタルにもなっていた。

中山の11レース、弥生賞馬連で狙ったワンダイレクトとトップナイフは2-3着。
ワイドなら……なんてことを考えてみて、都合のいい自分に対して腹を立てる。
喫煙者がイライラしたら、当然煙草に手が伸びる。ニコチンを補給して、イライラを抑える。
ところが、だ。今日ばかりは煙草は忘れさせてくれなかった。自律神経の不調も、競馬で負けたイライラも、ニコチン様の及ばないところまで来ていたのだ。

ところで、禁煙を考えたことのない喫煙者というのはかなり少数だろう。みんな「やめなきゃな。やめたいなぁ」と思いながらも吸っている。
わかっていても禁煙に踏み切れないのは、ニコチン切れのイライラを知っているからだ。
そして、そうなって吸う煙草の美味さも。より正確に言えば、そうなってから体内をニコチンが駆け巡る喜びも。

「吸っていてもこれだけイライラしているのであったら、煙草を吸わずにイライラしていた方が得なのでは?」

ニコチン切れのイライラに耐える自信が、なんだか急に変な方向から湧いてきた。
うんじゃあ、もういっそ煙草辞めるか。
いや、辞めた。
タバコ、やーめた。
やめたー。


メンタルが弱ると、何かに対する執着を捨てたがるところが僕にはある。それまでやっていたゲームを急にやめたり、心底腹を立てた人間と連絡を絶ったり。意味のないことは分かっていても、意地を張りたくてたまらなくなってしまう。
じゃあ、今回は喫煙という習慣を辞めてしまおうと思ったのだ。
なにせ、辞めたからといって悪いことは何もない。それに、意地の張り甲斐には事欠かないだろう。

煙草を吸わなければ、そのぶんのお金が浮くことになる。ふと、誕生日までの日数を測ってみるとだいたい50日だった。今吸っているピースのアロマロイヤルが1箱640円。それが50日となると……なんと3万2000円。

ニンテンドーSwitchが買えるんだなぁ……」
苦痛の先の皮算用であっても、50日煙草を吸わない「だけ」でSwitch、というのは気持ちとしてデカい。いいねえ。やってやろうじゃないの。
かくして僕は煙草を吸わなくなったのである。

優雅に2日目

初日は意志を固めたばかりで何とかなったが、翌日の朝こそが一番の鬼門だ。起き抜けに、コーヒーのためのお湯を沸かしながら吸う煙草の旨さを諦めきれるだろうか、と。
結論から言えば、意外なくらい何とかなった。強靭な意志というより、まだニコチンからの離脱症状が始まっていなかっただけなのだろうけど。

気持ちの面での吸いたさは、今や古典的とも言える禁煙パイポで何とかなった。
口に咥えしばし瞑想、吸い込んだ架空の煙をもったいぶって吐く。『刑務所の中』で、拘置所で丸めた新聞紙に消しゴムのライターで火をつけて妄想煙草を吸っていたでしょう。
あの要領で、まさに煙草を吸っていたときそのままの呼吸を再現してやると、薄らぼんやりではあるが脳が騙されてくれるというわけだ。

煙草を辞めて1日目に気づいた変化として、意外なくらい時間に余裕ができる。これは自分でも本当に驚いた。
煙草を吸っている時間だけではなく、出勤前退勤後に喫煙所に寄るための時間とか、少し遠回りしたコンビニに煙草を買いに行く手間とか、そういう時間がそっくりそのまま空くのだから。
ぼくはデスクで煙草を吸わないから、離席してタバコを吸いに行き、トイレだなんだかんだとウダウダしている時間もなくなる。ああ、「タバコ休憩」ってそりゃあ吸わない人からしたらムカつくわけですね……
喫煙者の平均寿命が短いという統計データがあったとするならば、多分この時間の消費が原因なんじゃないか。知らんけど。

吸いたい3日目

朝の吸いたさは禁煙パイポで、仕事前はミンティアでごまかす。喉をハッカでスハスハさせることを、喫煙の代替として脳に刷り込んでいこうという狙いだ。
この日は仕事中のストレスがものすごかったが、退勤後は仁王像のような表情で駅前の喫煙所を横目で睨みながら何とかやり過ごす。

帰ってきてビールを飲んでいると、唐突に来た。「煙草が吸いてえ……」という欲求が。
風呂に入っても「この後煙草が吸いてえ……1本ぐらい吸ってもいいんじゃないか……」と。
ああ、お手本通りの離脱症状である。「1本だけオバケ」とか、なんかそんな感じのつまらない名前がついていた。
しかしながら、禁煙パイポの吸い口を噛み締め、ミンティアやらフリスクやらフィッシャーマンズフレンドでの喉スハスハで乗り切る。乗り切れてしまう。
「3日目を乗り切れば大丈夫」という根拠のない願掛けをしていたので、これを抑え込んだら急激に気持ちが楽になったのだった。

蒸される4日目

仕事が休みだったので、スーパー銭湯に行く。身体メンテナンスの日である。
朝は習慣として禁煙パイポ喉スハスハをしてみたものの、煙草への欲求が薄れたような感じがする。ニコチンが体から抜けてきているのかもしれない。

お湯につかり、スチームサウナで蒸されていると強張っていた背骨がほぐれたような、しかしそれでいて一本筋が通ったような、不思議な感覚を味わう。なんだろう、要は背筋が「シャンと」したのだ。
自律神経が背骨と関係しているというのは本当なんですね。以来、隙あらば背骨を伸ばし散らかしている。


ホカホカになったら、酒を飲む。
だんだん酔っ払ってくると、ジンワリと「たばこすいたい」がやってくる。
ははあ。考えてみれば、煙草を吸わずに酒を飲むことなんてなかった。飲酒と喫煙、これが脳内で強固に結びついているのだ。
ということは、飲酒の頻度も減らしていけばいいわけだ。なんだかどんどん健康になってしまう。

気づけば5日目

朝起きての禁煙パイポ喉スハスハをしなかった。特にしたいとも思わなかったので、どうやらニコチンの離脱症状は超えたらしい。

外を歩いていると、煙草を吸っている匂いというのはすぐにわかる。
せっかく煙草をやめたのだからと、副流煙を吸わないように息を止めて通り過ぎる。数日前まで1日1箱吸っていた人間がこれでいいのだろうか。

仕事中、ストレスに襲われた際に思うことが「喉スハスハさせたい……」になっていることに気づき、笑ってしまう。
喫煙の代替行為として脳みそに定着してきたのかもしれない。
とはいえ、まだ煙草への未練は断ち切れていない。
ドラマを見ていて煙草をズパズパ吸われると「ああ、いいなぁ」と思ってしまう。煙草のないことが、極めて味気なく思えてくる。
でもこんな気持ちになれるのも喫煙のおかげと、この悔しさを楽しむことにする。ああでも、いいなあ。

なにやら6日目

煙草を吸わなくなって、意外なことに口内炎ができる。喫煙によるビタミンの破壊が起きなくなるのに不思議なのだけれど、そういうものらしい。
あと、痰が出るようになる。これは喫煙によって痰を出す機能が衰えていたのが、回復してくるせいらしい。

気持ちの上でのこと以外でしんどいことは眠気だ。
常に眠いとか、ボンヤリしているとかではなく、日中に2~3回、「ウッッッ!!!眠ッッッッッ」という発作のような眠気が来る。
この眠気、寝れるタイミングで来ると嬉しい。これで寝てしまうと、短時間でもお脳がシャッキリする魔法のような睡眠になるのだ。

飲酒が「たばこすいたい」トリガーになっていることがわかったので、この際ビールもアルコール分が0.5度というやつにしてみた。
はじめの一口目は「これはビールではないなぁ」と思うのだが、次第に意外なくらい気にならなくなってくるので驚いた。2杯目、いや3杯目に出されたら絶対わからないな、というくらいにはビール感があるのだ。
でも、そこまでして飲まなければいけないものだろうかとも思う。だんだんと馬鹿らしくなってしまったので、2本買ったけれど1本でやめてしまった。

正直に言えば煙草を吸いたいという気持ちはまだ残っている。
だが、もう吸わないことはわかっているのでそこまでの苦しみではない。「吸いたいなあ。吸わないけど」くらい。
煙草の味も忘れてしまった。あれだけ吸っていたものを思い出せないのだから、煙草に味なんて最初からなかったのかもしれない。

とうとう7日目

なんと、煙草を吸いたいと思わなくなった。
自分でも「ウソでしょ……」と思うくらいに。6日目までは確かに吸いたい気持ちが残っていたのに。

これを書いている今はすでに8日目に突入しているのだが、やはり吸いたいとは思わない。
ズバッと習慣を断ち切ってしまったことが原因だとは思うが、こうまで素直に煙草を吸わなくなるとは思っていなかったので、嬉しい反面あまりに単純な自分に呆れもする。

なぜこうもすんなり煙草を吸うのを止められたのかと思えば、逃げ場があったことがよかったのだろう。
こんなことを言うと怒られるのかもしれないが、僕は「金輪際、煙草なんて1本も吸わない!!!!!」という気持ちは毛頭ない。
むしろ、「煙草なんていつでも吸ってやらぁ!!!」という、変なやさぐれと一緒に禁煙をしている。
まだ箱にピースは6本残ってる。もったいないなあ、とはずっと思っている。ライターだって捨てていないので、吸おうと思えば家ならいつでも吸える。

でも、吸わない。
いつでも吸えるのなら、別に今じゃなくていい。
とっておきのとっておきまで、煙草を吸うチャンスを残しておこうと思う。

とりあえずは、4月25日の誕生日までそのチャンスが訪れないことを心から祈っている。