引っ越した、というのが去年の8月のことである。
このブログの前のエントリが2018年の9月。北海道で地震に遭遇して、東京までほうほうの体で帰ってきたときの話だから、いやまあずいぶんと放置したものである。
元来筆まめな方では全く無いし、放置している間に色々とあったのもまた事実。知っている人は知っているし、言うかもしれないし言わないかもしれない。
と、いうことで引っ越したのだ。北千住から赤羽へ。荒川を少し遡った。
移動としては大した距離ではないのだが、僕にとってはとてつもなく大きな意味のある引っ越しだ。
なにせ、初めて実家を出たのだ。
今は、武蔵野台地の端っこにへばりついた一軒家を借りて、男三人で暮らしている。
人には「シェアハウス」と横文字を使って説明するが、住んでいる実感としてはいわゆるそういう感じはしていない。
漢字で書けば「雑居」だが、これではトイレに行く際に「願いまーす!!!」と声を張り上げていたり、春雨スープに入った肉の量を比べて「ビューだよ。ビューだよ。」などと言っていそうな感じになってしまう。第一、雑魚寝をしているわけではない。
かといって「同居」という感じでもなく、ましてや「同棲」では決して無い。まあなんというか、結局のところ「一緒に住んでいる」と言うしか無いような暮らしだ。
8ヶ月、そんな暮らしをしてみて……ごめん、嘘。ほんとは最初の2週間くらいで気づいたことなのだが、僕はかなり「暮らし」が好きらしい。
「ていねいな暮らし」をしているつもりは全く無いし、まあしていない。それでもやっぱり、他の二人を見ていると逆説的に「俺は暮らしが好きなんだな」と思わされるのだ。これは別に同居人の「暮らし」に対する解像度の低さを責めるものではない。いやまあ、最初はあれだったけど、もう慣れた。冷蔵庫に塩が入っていた時はクソでかいため息をついたけど。
考えてみれば、もしかしたら「暮らしが好き」というのは僕にとってかなり根幹を成すものなのかもしれない。
子供の頃は、かなり「おままごと」が好きな子供だった。妹に買い与えられたはずのおままごと用のおもちゃを、熱心に遊ぶのはだいたい僕の方だった。
「知らない土地に住んでいる人が、自分とは別の暮らしをしている」ということに対する興味は、趣味のローカルCM視聴から、大学で人文地理学を専攻するところまで様々なところに影響を及ぼした。
僕は交通機関、特に鉄道が好きなのだが、それらの何に魅力を感じるかといえば「土地と土地を繋ぎ、人や物を運ぶことで生活を支える」ことである。
僕からしてみたら人間というのは「暮らす」生き物であり、そうでない存在には苦手意識や嫌悪感を覚えることすらあるくらいだ。
そんな僕だが、実家にいるときはといえば別に家事をしていたわけではない。ハイパー家事できる人間である母がいたからだ。そう、毎年クリスマスになるとシュトレンを焼くうちの母である。
実家を出る前、母は僕の生活能力を全く疑問視していた。まあ、無理もない。実家における僕の部屋といえば、まあひどい有様だったのだから。良く言えば大学の教授室、悪く言えばゴミ屋敷といった具合に散らかり放題だった僕の部屋を散々見てきた母に、息子の生活能力を信じろというのはそりゃあ無理だ。まあ今の部屋だって相当に散らかってはいるのだが。
引っ越してから2週間くらい経った頃だったか、実家に帰った際にふと母に聞いたことがある。
「ふきんをハイターに浸けるのって、どのタイミングでやるの?」
我が家では、使用したあとのふきんを台所用漂白剤に一晩程度浸け置きしてから洗濯する習慣がある。このやり方について聞いたところ、僕の生活能力に対する母の見方がガラッと変わった。「あ、こいつ、私のやっていることを案外ちゃんと見ていたんだな」となったのである。
「見えない家事」という言葉があるが、実際にはそんなものはない。見ていないか、見ているか。「暮らし」というのは、実に様々な家事に支えられている。そういうものにある程度気づけていたのは、間違いなくプラスだった。そう思って、今日も寮母さんさながらに男3人分の食事を作っている。
去年の秋、同居人の一人と「見えない家事」についての話をしていた。
僕は換気扇の下で煙草を吸っていて、そいつは隣の流しで飲み終わった牛乳のパックを手で引きちぎっていた。
おいおい、牛乳パックというのはな、洗ってな、キッチンばさみでこう切り開いてな、乾かして回収ボックスに持っていくんだ。お前の目の前に俺がそうやって開いたパックが溜まってるだろ。
最近、ちゃんとハサミを使うようになった。人というのは成長する。まだ切り方は甘いけどね。