濹堤通信社綺談

江都の外れ、隅田川のほとりから。平易かつ簡明、写真入りにて時たま駄文を発行いたします。

おふくろの味でも何でもない、煮干しの味噌汁の味

一昨年の秋、母と旅行に行った。


母は、まあ僕の母であることから想像はつくかもしれないが、この人も中々に"人の暮らし"が好きな人だ。
以前、小金井の江戸東京たてもの園に行って古民家など見て回ったのがお気に召したらしく、
「今度は明治村に行きたい。あんた、一回行ったんだからアテンドして」
と前々から言われていたのをついに実行した、というわけだった。
広い上に高低差のある地形の明治村を丸2日に渡って隅々まで見て回り、歴史的だったり地理的だったりのバックボーンを求められたら解説し、求められなくても適当に喋る健気なガイドとして2泊3日を過ごした。
まあ旅費は母持ちだったから、これくらいの仕事はさせてもらわないといけないだろう。

2日めの夜、名古屋駅前の居酒屋で二人で夕飯兼晩酌をした。
そういえば親父と二人で飲み屋というのは数えきれないほど経験があるが、母とというのは初めてだったかもしれない。

僕の「麻婆豆腐を自発的に食べようという気に全くならない」という発言からだったか、「家族の好き嫌いって意外と知らないよね」というような話になった。

ちなみに僕は麻婆豆腐というか、豆腐という食べ物が別に好きではないというか、食べようという気持ちになることがあまりないことに最近気づいた。
豆腐がめちゃくちゃ嫌いなわけではなく、出されれば特に不満ということもなく食べるし、美味い豆腐は美味いと思うし、豆腐が欠かせない料理を食べたくなることはある。
それでもやっぱり豆腐に対する思いは特に無く、スンドゥブチゲや湯豆腐や冷奴が豆腐でなくても美味しいのであれば、僕はその"豆腐ではないもの"におろししょうがと削り節と醤油をかけて食べることに何の躊躇も見せないと思う。

「忘れられないのがさぁ、ばあさんのナスだよね」
と母が呆れたように笑いながら言うので、思い出したのが祖母が亡くなる前の話。
僕の母方の祖母、つまり母の母はもう10年以上前に亡くなった。80歳を目前にして白血病を発症し、半年くらいであっという間に逝ってしまった。
戦後第一世代の教育を受けた、ハキハキとして面倒見のよい、子供ながらに見ていて実にシャンとした人だった。
抗がん剤の副作用などで食欲が落ちに落ちている祖母のため、母は色々と病室に差し入れをしていた。
ある日、茄子を油味噌で甘く煮たのを持っていき、祖母に食べさせていたら
「……あたし、ナス嫌いなのよね」
と、ぼそりと言われたのだそうだ。

「もう衝撃!50年以上この人の娘やっててさ、ナスが嫌いなんて丸で知らなかったもん。だって普通に食卓に出てたのよ!?」
だから、この機会にお互いの知らない食べ物の好き嫌いについて共有しておこう、というわけだったのだ。

「死ぬ間際に嫌いなもの食べさせられないように今のうち言っとくわ。あたし酢豚嫌いだから!」


病人への差し入れに酢豚ってチョイスはしないよなぁ、というのを、翌朝の味噌汁のために煮干しの頭をむしって食べながら思い出した。
実家では母が好まなかったので、煮干し出汁の料理というのはほとんど出なかった。
実家を出て、僕が僕のために味噌汁を作るようになって、ふと煮干しで出汁を取ってみたら僕の好みに実に合うではないか。
"おふくろの味"とはよく言ったものだが、家庭の味はやっぱり台所を仕切る人に左右される。
母が食べたがらなかったせいで、僕がまだ知らないけれども実は僕が好みな味、というものがまだまだ世の中にはあるのだろう。

母は、全然元気である。