濹堤通信社綺談

江都の外れ、隅田川のほとりから。平易かつ簡明、写真入りにて時たま駄文を発行いたします。

煙草を吸わない3ヶ月

「たばこやーめた」して3ヶ月が経った。
mikoyann.hatenablog.com
前回の禁煙報告が1週間の時だったが、そこから無事に禁煙が続いていることになる。なんとまあ。褒めなさいよ。

ただ、白状するとこの間1本も煙草を吸わなかったのかというと嘘になる。実はあの記事を書いて、その後の2週間で3本の煙草を吸っている。
こういうことを言うと「禁煙に失敗しているじゃないか!!」となるかもしれないが、結果的に煙草を吸わなくなっているのは確かなので大目に見ていただけると助かる。

なぜ吸ってしまったかというと、それは単純に「羨ましくなった」から。
昔の映画を見ていて、登場人物がブカブカ煙草を吹かし散らかしている。
Twitterを見たら、サンライズ瀬戸喫煙室で煙草を吸っている先輩がいる。
東北新幹線に乗っていたら、八戸駅ホームの喫煙所にスモーカーが吸い込まれていくのが見える。

そういうのを見ていると、何故か無性に羨ましく、自分が煙草をやめてしまったことが惜しくて惜しくてたまらない。
前に書いた通り、「いつでも吸ってやらぁ!!!」という気概で禁煙をしたので、煙草を別に捨てていない。
じゃあ、どうする。いっそ吸うか。ええい、吸ってやれ。
禁煙のきっかけがヤケだから、禁煙を破るのもヤケだ。
煙草に火を吸い付ける瞬間、「イケナイこと」をしているような気になる。そうだ、これは初めて煙草を吸ったときの感覚だ。
満を持して吸うピースはさぞや美味く、瞬く間に脳へとニコチンが駆け巡り、禁煙の誓いも虚しく哀れ僕はまた喫煙者に……

……と、思っていたのだが実際はそうではなかった。
煙草が美味くない。脳がニコチンを欲しなくなっているのか、まあ何も感じないのだ。
あれだけ期待して煙草を吸ったのに、特に何も感じない。それどころか、煙いばかりでまるでいいものではない。
そういえば初めて煙草を吸ったときもこんなふうだったなあ……などと思っているうちにどうでもよくなり、結局2口でやめてしまう。というのを3度やったわけだ。

今のところ最後に煙草を吸ったのは「たばこやーめた」から2週間ちょっと経った、3月の後半のこと。
東北新幹線というのは、乗っていると煙草が吸えない。だから、世のスモーカーたちは東北新幹線から降りると、即座にホームの喫煙所に吸い込まれていく。
新青森までの車窓、駅ごとに見るそんな喫煙者たちがどうにも羨ましい。その日のうちにコンビニで煙草とライターを買ってまで吸って、2口でやめた。青森湾が目の前に広がる、ミニストップの喫煙所だった。

その日は浅虫温泉の旅館に泊った。予約をした次点ではまだ喫煙者だった僕は「お!喫煙可の部屋あるじゃーん」と喜びさえ覚えて予約した部屋だ。
この部屋が、すっっっさまじく煙草臭かったのだ。
煙草を吸う気もないのに、煙草臭い部屋に一晩寝泊まりしたら、なんだか煙草を吸う気が本当に失せてしまった。
東京に帰ってきて、捨てずに置いていた煙草も処分する気になった。部屋に喫煙者の大群が押し寄せて、街中の喫煙所さながらに横でブカブカ吸われても吸っていない。

昔の煙草のキャッチコピーに、「生活の句読点」というのがあった。「いこい」だったか、「パール」だったか。
これはすごくいいコピーというか、言い得て妙だ。煙草を急にやめると、生活のリズムがどうも単調になってしまう。
何か気分転換になるものを、ということで古典的ながらガムに落ち着いた。食後に、仕事の合間に、「ちょっと一息」つけたい時にガムを噛んでいる。
聞けば、ガムの市場はタブレットやグミに圧されてどんどん縮小しているのだそうだ。煙草といい、ガムといい、過去のものになりつつある嗜好品がどうにも僕にはちょうどいいようだ。

「煙草を吸ってイライラしているのなら、吸わずにイライラしたほうが得では?」という目論見どおりに煙草をやめて、ガムを噛みながらくさくさしていると、なんだか高校生の頃に戻ったような気がしてくる。
煙草も吸わずにくよくよ悩んでいることに、わけもなく青い恥ずかしさを感じながら生きているこの頃なのだ。