濹堤通信社綺談

江都の外れ、隅田川のほとりから。平易かつ簡明、写真入りにて時たま駄文を発行いたします。

北海道から帰ってきた話

 去る2018年9月6日、北海道胆振地方中東部を震源とする最大震度7の大地震があった。北海道胆振東部地震である。
 僕はこの地震に、旅行者の立場で遭遇した。もちろん被害の大きかった地域に住まわれている方とは比べ物にならないが、僕なりに大変な思いをして東京まで帰り着き、いくつかの教訓らしきものも得ることができた。
 あくまでも旅行記の体で、そのことについて書いてみるものである。

9月5日~6日未明

 そもそも、5日の時点からして道内の交通はガタガタだった。
 前日夜から北海道には台風21号が通過していた影響で、朝の時点でJR北海道は12時前後までほぼ全線で運転を見合わせるアナウンスがあった。
 結局のところ12時にはJRは運転再開しておらず、僕は12時30分札幌バスターミナル発の道南バス高速ハスカップ号にて苫小牧へと向かった。苫小牧での用事を済ませると19時近くになっており、さすがに運転再開していた室蘭線に乗ることができた。そんなこんなで当日の宿にたどり着いたのは21時近くになってのことだった。

 当日の宿だったのが、白老町虎杖浜温泉ホテル。
白老町の虎杖浜温泉ホテルへようこそ - 虎杖浜温泉ホテル【公式ホームページ】
 虎杖浜白老町でも登別市に隣接する地域だ。名だたる登別温泉に近いこともあり、戦後に白老臨海温泉として開発されて今に至っている。また虎杖浜は道内でもタラコの産地として知られる。現在一般的な外国産タラコの加工品ではなく国産タラコを使用していることもあり「虎杖浜たらこ」は地域ブランドとして確立してもいる。
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 お土産として購入できるだけでなくタラコまみれのタラコ丼なども食べることができるので、タラコが好きでプリン体摂取量の心配がないのだったら是非訪れて欲しい。
 
 今回は到着時間が遅かったこともあり、夕食はコンビニ飯と相成った。虎杖浜温泉ホテルは敷地内に24時間営業のセブンイレブンが存在するので大変便利である。北海道のコンビニおでんにはちくわぶが存在しないことを知って絶望し、豊富な湯量の温泉に身を沈めたあとは部屋のベッドに陣取ってサッポロクラシックを呷った。


 水曜日の深夜帯、HTVは「水曜どうでしょう」→「ハナタレナックス」→「ピエール瀧のしょんないTV」という地方制作バラエティ3連コンボで我々を待ち受ける。2本のサッポロクラシック350ml缶と地方制作バラエティ3連コンボの前に幸せな敗北を喫した僕は、テレビもつけっぱなしでいつしかまどろみの中に沈んでいったのだった。

9月6日 3時7分

 揺さぶられている感覚で目覚めた。
 地鳴り。周期の短い強い横揺れ。多少の感覚の違いこそあれ、マンションの5階で味わった東日本大震災の揺れに近いものを感じ、即座に地震であることは理解した。今回の部屋は鉄筋コンクリート造のホテルの2階だった。
 次に思い至ったのはホテルの立地である。海まで徒歩2分。東日本大震災クラスの揺れ。
 「……津波だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
 部屋のドアを開けて、まだ揺れている最中に着替えをした。つけっぱなしだったはずのテレビは消えていた。リモコンの電源ボタンを押すが反応はなく、ここで初めて停電に気づいた。部屋の明かりは非常灯に切り替わっていた。
 前日寝落ちしたせいでスマホの充電は6%。モバイルバッテリーに繋いで、radikoNHKラジオを聞くとアナウンサーが津波の心配はないと繰り返しており安堵する。他の部屋の宿泊客も廊下に出ている声が聞こえたので、僕も部屋を出て1階ロビーに降りることにした。喫煙所に行きたくなったのが直接的な理由だが、本能的には人間を求めていたのかもしれない。

 1階ロビーは端的に言って軽いパニックが起きていた。中国人観光客団体に何事か大声で説明する添乗員らしき中年女性。ホテルの従業員に情報を求め詰め寄る年配の男性。僕はといえば玄関を出た灰皿の脇で煙草に火をつけ、停電によりすっかり暗くなった海沿いの町と、対象的に明るい星空を見つけて何やらエモい気分になったりしていたのだった……
 ふと思いたってホテルに隣接するセブンイレブンへ行くと、照明は消えていたが自動ドアは開放されていた。中では中国人観光客らしき一団がカゴにペットボトル入りのミネラルウォーターを詰め込んでいた。レジに並んでいる客もいる。「まさか……」と思ったが、そのまさかで停電中でもセブンイレブンはレジが稼働していた。「???????」と脳が訴えかけてくるのを感じつつも、平静を装い僕は煙草を1箱だけ購入した。【失敗ポイント】

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 地震から1時間ほど経ち、午前4時を過ぎるとロビーに詰めかけていた宿泊客も各々の部屋に帰り始めた。停電はまだ復旧しておらず、東の空がだんだんと白んでくるのが手に取るようにわかった。しかしながら、この頃はまだ停電は近々復旧すると思っていた。ラジオからの情報では、新千歳空港では滑走路に異常が見つからなかったことも告げられていた。まあ、大丈夫だろう。明日の飛行機で東京には帰れるだろう、という根拠のない楽観の中で僕も自分の部屋に戻り、ベッドの上で眠ることもできずスマホをいじることになった。【失敗ポイント】

9月6日 早朝

 6時過ぎになって、東京の家族へ無事である旨を伝えることができた。それと同時に、段々と自分の置かれた状況が深刻であることも理解できるようになってきた。

 まず、新千歳空港の運航再開見通しが立たない状況であることがわかった。滑走路の異常はなかったものの、ターミナルビルが壁・天井の崩落、漏水などで閉鎖されたのだ。
 思い起こされたのが、数日前の台風21号によって関西国際空港の閉鎖が長引きそうだというかねてよりのニュース。そして、2016年の熊本地震の際には熊本空港の閉鎖が数日間に及んだことも。
 これによって、当初の予定通り翌日の飛行機で東京へ帰ることは、この時点では全く現実的でない選択肢となった。(ちなみに僕が搭乗予定だったこの飛行機は、運航再開した新千歳空港からの第1便として飛んだのだが。)

 そして、停電が思ったよりはるかに深刻で、文字通り普及の目処が立たない状況であることがわかった。
 全道に及ぶ停電の原因が、電力需給のバランス崩壊によるいわゆる「ブラックアウト」であろうことはTwitterなどでの情報からわかっていた。道内最大の苫東厚真火力発電所が緊急停止したことにより引き起こされ、再稼働させるために水力発電所からの電気を送っている、という情報がNHKからは伝えられていた。ところが、この苫東厚真火力発電所のタービンその他が損傷していることがこの頃ようやくわかったのである
 ということで、電気は来ない。来る見込みもない。

 ……ヤバい。
 今回つくづく理解したが、現代社会というのは本当に電気に頼っている。「電気があれば何でもできる」状態なのだ。

 電化製品が使えないというのは言うまでもない。スマホの充電は、残量80%くらいの1200mAhモバイルバッテリーが頼みの綱となった。
 JRは当然動かないだろう。なにしろJR北海道が災害に対して非常に弱くなっているということは、前日の台風の影響で身にしみて理解している。今回は停電によって、信号も動いていない。となると今度ばかりはバスも動かないだろう。よしんば新千歳空港が再開したとしても、約60km離れた空港へ向かうのは大変に困難であることが予想できた。

 そして僕を一番危機的状況へと追い込んだのが、ATMが使えないということであった。
 前日夜、チェックイン時に宿泊料金を現金で支払っていたこともあり、当時僕の財布に入っていた現金は4000円弱であった。その時は「明日の朝下ろせばいいや~~~」などと思っていたのだが、夜が明けてみればこの有様である。【失敗ポイント】
 4000円弱という現金は、命を繋ぐことはできるがそれ以上のことはできないだろう。ましてや公共交通手段の一切が絶たれた状況で、都市部でなく、かと言って名だたる観光地というわけでもない土地から脱出するにはあまりにも少ない金額だった。
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 絶望に沈みかけた中で、ホテルは朝食を出してくれた。停電により加熱調理はできないらしく、パンとサラダ、果物などに限られたものではあった。しかしそれでもコンビニではすでに食料品が払底していたこともあり、僕はこの朝食のおかげで飢えを逃れることができた。人生でこんなにポテトサラダを食べたのは初めてだろう、というくらいポテトサラダを食べた。僕はあの時、まさしく向井秀徳だった……
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 朝食を食べたことで緊張の糸が緩み、自室のベッドで寝た。

9月6日 午前中

 9時過ぎに起きたと思う。両親からは早急な帰宅を勧めるLINEが何通も入っていた。自分でも、このまま北海道にいても何もできないだろうと思い始めていた。でも新千歳空港をはじめ、交通機関は復旧していない。現金が4000円では何もできない。また思考が停止しようとしていたが、思い出したのがフェリーの存在である。
 一昨年、北海道から帰京する際に僕はフェリーを使った。苫小牧ー八戸のシルバーフェリーである。インターネットで情報を集めると、北海道を発着するフェリーは通常運航しそうな気配があった。
 現時点でこの島を出るにはフェリーしかない、そんな気がしてきた。
 10時になって、バイト先に7日の欠勤連絡をしようとしたところでスマホに着信があった。市外局番からすると苫小牧の番号。出てみると、その日に泊まる予定だった苫小牧のホテルからだった。
「ベッドの用意はできるが、電気ガス水道の復旧の目処が立たず満足なサービスができない。キャンセルの場合、返金する」という内容だった。その時点では、苫小牧までたどり着ける保証もない。ましてや翌日、新千歳から飛行機に乗れるとも思えなかった。二つ返事でホテルをキャンセルし、僕の頭は一気にフェリーによる北海道脱出へと切り替わっていた。

 ここで、僕の中にあった選択肢は2つ。1つが、シルバーフェリーこと川崎近海汽船苫小牧ー八戸航路。「とにかく本州に上陸すればどうとでもなる」という思いが強かったので、仙台や大洗までフェリーで渡ることはあまり頭になかった。
 もう1つが、6月にできたばかりのシルバーフェリー室蘭ー宮古航路東北新幹線にすぐに乗ることができる八戸に比べて、宮古は不便ではある。でもまあ本州まで行けば公共交通機関はいくらでも動いているだろうし、何より電気があるからATMも動く。何でもできるだろう。
 苫小牧ないし室蘭までは、タクシーを捕まえるのがその時考えられる一番現実的な手段だった。幸か不幸か、白老町は苫小牧と室蘭のまさしく中間に位置しているのでどちらへのアクセスも可能ではある。Googleマップを開いて現在地からの距離を確認する。苫小牧までは約40km、室蘭までは約30km。室蘭からフェリーに乗ることを決めた。

 シルバーフェリーのインターネット予約は前日まででったので、電話での予約になる。室蘭、苫小牧といった道内の事務所はかけるだけ無駄に思えたので東京の事務所にかけるが出ない。
 そこで宮古の事務所に電話をかけると、拍子抜けするほど簡単にチケットがとれてしまった。9月6日20時室蘭発宮古行きのシルバークィーン、これが僕にとって文字通りの「助け舟」となった。
 とにかく北海道から脱出する手段は確保できた。……が、ここで僕の思考は完全に停止した。

9月6日 午後

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 "エモ”を、していた……
 静かな海を見ては、時折ブラックニッカのポケット瓶を舐めるなどしていた。
 
 何よりも、手元に現金が4000円弱しかない、というのが悩みの種だった。室蘭まで行くとして、タクシーは恐らく8000円程度かかる。クレジットカードは使えるのだろうか……
 いや室蘭まで行けたとして、フェリーの運賃もある。これこそクレジットカードが使えなかったらどうしようか。宮古で払えるよう、泣きついて頼み込むしかないか……
 というか、タクシーを捕まえることができるのだろうか。呼んだら来てくれるであろうか。両親からは「ヒッチハイクしたら?」などという無責任なLINEが来ていた。そりゃまあ、やってできない事はないだろうが……
 「明るいうちに行動した方がいい」というのはその通りだろう。いざとなったら着替えなんかは打ち捨てて、歩いてでも室蘭に行くしかないのだろうか……

 などと考えていたら何もできなくなった。
 朝食を許される限りしっかり摂ったとはいえ、それもはや数時間前。すっかりお腹は空いていた。空腹が人間から正常な思考力を奪う、というのは本当である。


 そんな状態でホテルまで戻り、玄関脇でしゃがんで今日何本目か最早わからなくなった煙草に火をつけた時だった。
 ホテルの車寄せに、1台のタクシーが止まった。車体の文字から、登別のタクシー会社であることがわかる。後部座席には客が乗っているので、誰か別の人間が呼んだタクシーではない。支払いは……クレジットカード。
 カード!!!!!!!!!!!!クレジットカードが使える!!!!!!!!!!
 先客を見送り、再び乗り込もうとする運転手を捕まえる。
 「あの!!!!室蘭まで行ってもらうことできますか……?」
 「室蘭なら……いいよ」
 フロントに預けていた荷物を回収し、タクシーに乗り込む。ドアに貼られた「中型」のシールを見て、(小型じゃないから高いな……)と思ったのを記憶している。

 ところで僕は、車の免許を持っていない。運転手が「室蘭なら」と言った理由は、車を運転しない僕には考えもしなかったが、至極当たり前の理由だった。
 「ガスがさ、ないんだよね」
 停電により、ガソリンスタンドの殆どが営業できない。数少ない営業している店舗の前には長蛇の列ができているが、これまた停電で製油所からの搬出が止まっているのでいつまで持つのかわからない。本当に電気がないと何もできないのだ。
 信号の一切灯っていない国号36号線をひた走り、メーターは予想どおりの金額で止まった。お礼を言ってタクシーを降り、室蘭港フェリーターミナルへ入る。2階の待合室に置かれた長椅子に陣取ると、安堵感からか僕はすぐに意識を失った。

9月6日 夕方

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 最後の懸念材料は「室蘭でフェリーの運賃が支払えるか」だったが、なんとここでもクレジットカードを使って払うことができた。神か。これでカウンターで泣き落とす必要もなくなり、手持ちの現金は全てフェリーの中で使えることになった。フェリーターミナルに一番近いコンビニはセブンイレブンだったが営業しておらず、かといって室蘭駅の方へ歩く気力も無かった僕はここでもまだ飢えから逃れられていなかった。

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 明かりの一切灯らない室蘭の街とは対象的に、空は悔しいほどにオレンジ色だった。僕を含めて待つことしかできない乗客たちは皆スマホを取り出して写真を撮り、ぼんやりとそんな景色を眺めていたのだった。


 僕が長椅子で寝たりエモ空を眺めている間に、フェリーターミナルには続々と人が詰めかけていた。午前中の段階で予約をしていなければ、とうてい乗ることはできなかっただろう。
 18時過ぎに、宮古からフェリーが到着した。待ちかねていた500人の乗船予定者たちが、一気に総毛立ってくる。
 ふと、ヒギンズの『脱出航路』を思い出した。ドイツの敗色濃厚となる中、制海権を失った大西洋を横断してブラジルからドイツへと渡る老朽帆船ドイッチェラント号に乗り込む様々な人々。手に汗握る危険な航海にはならないだろうが、僕を含めた多くの人々にとってはこのフェリーが「脱出航路」に他ならないのだから。


 フェリーからは続々と赤い回転灯を灯した緊急車両が、すでに真っ暗になった室蘭港に降りたってくる。後でわかったことだが、これらは岩手県から派遣されてきた部隊だった。

 19時過ぎに乗船開始のアナウンスがあった。停電でボーディングブリッジが使えないので、1台のバスによるピストン輸送で乗船客を船内へ入れるという。たまたま出入口付近にいた僕は、運良くその第1便に紛れ込むことができた。
 バスでフェリーの車両甲板まで入り、階段を登って船室へ。割り当てられた二等船室の一角に荷物を置くと、一目散にレストランへと向かった。近年のフェリーの例に漏れず、シルバークィーンのレストランも冷凍食品を自販機で購入し、備え付けの電子レンジで温めて喫食するタイプだった。
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 冷凍されたビビンバとチキンナゲットが、僕にとって12時間ぶりの食事となった。普段なら大脳をフル回転させて「SF食だ!!!」という興奮の中、咀嚼と嚥下を繰り返すような代物ではある。この時はただただひたすらに「温かい食事」がありがたかった。
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 定刻の20時を少し過ぎて、フェリーは室蘭を出港した。「東京に帰れる」という安堵感の中、同時に僕は「寝る!!!!!!!」という強い意志を示すために体へカップ酒を投入し、泥のように眠った。

9月7日

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 海路つつがなく、シルバークィーンは岩手県宮古港に着いた。
 コンビニに電気がついていたり、満員のフェリーの乗客に対応するべくフェリーターミナルへバスがどんどん送り込まれているのを見て、インフラが生きている地にたどり着いたことを実感した。

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 宮古では見ず知らずの方に教えてもらった魚菜市場でイカを食い(メチャ美味だった)

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 カキを買い(クソ重かった)

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 盛岡まで出て東北新幹線に乗り(車販のお姉さんにDWUの動画を視聴しているのを見られた)

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 地震から38時間後、ようやく帰宅したのだった。

今回幸運だった点

・携帯の電波が通じていたこと
 今回、何が一番幸いだったかといえばこれに尽きる。僕のキャリアはdocomoだが、全道が停電している中でも電波が途切れることはなかった。
 連絡が取れる、情報が得られるという基本的にして何より大切な恩恵を受けることができた。さらに、クレジットカード決済が使えたのも携帯の電波が通じていたおかげである。
 現金4000円弱でも何とかなったのは電波のおかげである。電波があれば何でもできる。というか本当に、電波が通じなくなっていたら恐らく何もできなかっただろう。

今回得られた教訓

 今回、旅行者の身分で地震・大規模停電という災害に遭遇したことで、いくつかの教訓を得ることができた。文中にいくつかある【失敗ポイント】から、それらを抽出していきたい。

 ・人間は過度の負荷がかかると、根拠のない楽観に支配される
 「停電はすぐ復旧するだろう」「JRは今日中には動くだろう」「新千歳空港も再開するだろう」「予定通り旅行を続けられるだろう」というやつである。
 恐らくこれは危機に対する人間の防衛反応なのだとは思うが、最悪の事態を頭の片隅に置いて行動したほうがいいのがよくわかった。

 ・現金は持っておけ
 今回、何が僕を一番苦しめたのかといえばこれである。特に旅行中は、ある程度の現金を持っていたほうが絶対にいい。できれば何かあった時に安全な場所へ脱出できる程度の……

 ・電気がないと何もできない
 停電によりATMが使えない、というのが僕にとって最大の痛恨事であった。当然、銀行信金郵便局といった各金融機関も停電により休業していた。
 スマホの充電もモバイルバッテリー頼みになった。前日酔っ払って寝落ちして、充電器に繋いでいなかったせいでもあるが……
 あと地味ながら困ったこととして、「水が流せない」というのがあった。僕のいた地域では断水はしていなかったのだが、ホテルでは水を汲み上げるポンプが停電により動かなくなって水が出なくなった。それ以外にも、センサーによって水を流すタイプのトイレだと、停電すると水が流せない。手洗い場も同様である。
 それ以外にも自販機が動かない、公共交通機関が動かない、ガソリンスタンドが営業できないなどなど、停電による影響は挙げていけばキリがない。「電気があれば何でもできる」というのは誇張であれど虚構ではない。

 ・食べ物を確保しろ
 今回、飢えた。人間というのは空腹になると、正常な思考ができなくなることを実感した。
 原因は地震直後に営業していたコンビニで、煙草一箱だけ買ってそれ以外何も買わなかったことが大きい。なぜそんなことになったのかと言うと、根拠のない楽観の元にいた僕は地震直後に食べ物を買うのが「買い占めみたいでカッコ悪い」と思ったからだった。
 今なら言える。馬鹿だ。カッコつけている場合なんかではなかった。
 何の地縁も血縁もない場所にいる旅行者であれば、正直なりふり構わず自分の状態を優先した方がいいとさえ思える。余裕のある状況でなければ、恐らく助け合うこともできない……

 ところで今回北海道から逃げ帰ってしまったせいで、僕は当初の用事の半分も済ませることができなかった。なのでそのうちまた渡道することになる。
 言うまでもなく、北海道は無条件にいいところである。クソ広い大地と空があり、美味い食い物があり、そこらじゅうでクソ美味いビールであるサッポロクラシックが売っている。乳と蜜の流れる約束の地カナーンというのは北海道だと言っても過言ではない。
 どうか皆さん、これからも北海道に行ってほしい。北海道はここにある。

私家版:社会主義日本におけるエレクトリーチカ

 Электричка(エレクトリーチカ)というのはロシア語で、日本語に訳す際はまあ「電車」と訳せばいいと思う。
 ただし、電気で動く車といっても路面電車は含まない。もちろん無軌条電車(トロリーバス)も、電気自動車も含まない。日本語で何の前置きなく「電車」と言ったときに指す、JRや私鉄が走らせている電車をイメージすればいい。故に、Электричкаは電車と訳せばいいわけだ。

 そんなエレクトリーチカは言葉の意味だけでなく、実は何もかもが日本の電車に似ている。その存在意義や運用といったものに加え、外観までも日本の電車と比較してあまり違和感を抱かせない。
 そもそも日本の鉄道のオタクさんは海外の動力分散型列車が好きだったりするが、そんな中でもエレクトリーチカは一定の人気を持つものと考える。

 ところで「ソ連によって占領された経験を持つ社会主義国家たる戦後日本」というのも、まま見られる題材である。
 矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん』、佐藤大輔征途』などといった作品名を出すに及ばず、歴史ifや現代ものSFに興味があるオタクであれば一度は考えると言ってもいい。
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 上記2つの概念を融合させると、「日本版エレクトリーチカ」というものが生まれる。
 本稿は、Nゲージにおける「日本版エレクトリーチカ」作成につき、その経緯と工作手順について概要を述べた上で、僕が好き勝手なことを書き散らすものである。

先行研究

 「日本版エレクトリーチカ」を作成した事例は、web上にて閲覧できるものだけでも数件存在する。
 おっとっと氏による『社会主義日本エレクトリーチカを作る』、v43*****氏『東日本人民鉄道 エレクトリーチカ』などが挙げられる。
社会主義日本エレクトリーチカを作る (完) | 地味鉄庵
blogs.yahoo.co.jp

 しかしながら、そのいずれもが4ドアや3ドアといった通勤型の車体を持つことがわかる。
 これはかつて、鉄道趣味界隈におけるエレクトリーチカの訳語として「通勤電車」が定着していたことによるイメージではないかと考える。
 ソ連における実際のエレクトリーチカは、そのほとんどが2ドア車であり、運用についても走行距離100kmを超えるようなものも存在する。
 故に、エレクトリーチカの性質に近いのは「通勤電車」よりも、むしろ「近郊電車」ないし「中距離電車」ではないかと考える。これを踏まえ、今回の作成にあたっては2ドア車をベースとした。

作成記

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 作成にあたってベースとしたのは、グリーンマックス エコノミーキット 80系300番台である。
 価格の面、また加工を行うにあたっての容易さを勘案し、GM製エコノミーキットを使用した。
 国鉄80系電車は2ドア車であり、国鉄においては100km超の運転を行うなど「中距離電車」の始祖と言える。特に300番台は軽量客車の技術をベースとした全金属製車体であり、これはエレクトリーチカのイメージに合うものと考えた。また、シルヘッダが存在しないことから加工にあたっても容易であると判断した。
 このベース選定を踏まえ、原案としたのはエレクトリーチカの中でもЭР2(ER2)である。
ЭР2 — Википедия


 今回は旧型国電をエレクトリーチカっぽくしつつも、「社会主義日本におけるエレクトリーチカ」ということで日本の匂いも残すことを目標とする。

車体

 エレクトリーチカらしさを醸し出す重要な要素として、車体に走る太いビードの存在がある。
 このビードの表現には、古典的方法ではあるが0.5mm幅のICテープを使用した。Nゲージの車両が1/150のスケールであることを考えると、これは実車においては7.5cm幅の極太ビードになるわけだが、「模型的な見栄え・わかりやすさを追求したデフォルメである」という言い訳を採用した。あと、おもちゃっぽい造形は単に僕の好みでもある。
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 ICテープの使用についても、極細プラ帯を切り出す、伸ばしランナーを大量生産する、エバーグリーン等のプラ半丸棒を調達するなどの諸案から予算・加工の容易さを勘案した結果である。
 また、この方法においては以下の2点の問題点が見つかった
 ・ICテープの性質上粘着力が弱く、ある程度の長さがある場合はいいが、短いと剥がれてしまうことがあった
 ・材質が紙であるため表面が平滑でなく、サーフェイサーを吹いてもプラとの差が目立った
 なお、これら問題点の解決にあたっては低粘度タイプの瞬間接着剤を併用し、ペーパーがけを行うことで解決できるものと思われる。

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 前面の加工としては、雨樋と窓下への前照灯、さらにスカートの増設を行った。
 雨樋は側面ビードの表現にも使用した、0.5mm幅のICテープを使用した。
 前照灯は銀河モデルの国電用を埋め込んだ。おそらく113系あたりに使用するパーツだろうとは思うが、よくわからない。
 スカートとして使用したのは、KATOのDF200用assyパーツである。当初はそのまま使う予定であったが、レール面とのクリアランスの関係からステップとスノープラウをカットした。カプラがアーノルドタイプのままなのは、僕の趣味と理念によるものである。

 ヘッドマークは、GM製の関西急電用ステッカーの中央に星型パーツを接着して作成した。星型のパーツはネイルアート用のもので、DAISOにて購入した。

足回り

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 台車には国鉄DT22台車を使用した。動力にもGM製DT22を用いた。
 気動車用の台車ではあるが、コイルばねの感じがエレクトリーチカっぽいので採用した。加えて秋葉原の某中古鉄道模型店で投げ売られており、台車が1両分200円、動力が850円と破格だったため大量に買い占めた。

塗装

 塗装についても、今回は独自の解釈を行った。なお、特筆なき場合はMr.カラーの基本色をそのまま、調色などは一切行わずに使用した。
 先行事例において、「日本版エレクトリーチカ」は暗緑色系の塗装がされることが多いが、どれだけ実際のエレクトリーチカの写真を見ても暗緑色には見えなかったため、今回はより明るい緑、Mr.カラーのグリーン(C6)を使用することにした。
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 実際のソ連におけるエレクトリーチカの標準塗装は、側面に黄帯・前面に赤の警戒塗装であるが、今回はあえてそれを逆の配色とした。側面に赤帯は戦前における鉄道省の3等車を示すものであり、戦後社会主義化した日本においてもそれが受け継がれたものである。使用色はそれぞれ赤がレッド(C3)、黄がイエロー(C4)である。
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 屋根の塗装では、明るいグレーを明灰白色(C35)、濃いグレーをジャーマングレー(C40)を用いた。信号炎管はホワイト(C1)である。
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 パンタグラフTOMIXのPS13をレッド(C3)で塗装した上で乗せた。黒染めされているためか、サフ吹きすることがなくても塗料がきちんと乗った。
 床下機器はつや消しブラック(C33)である。

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 また、ウェザリングを行っている。使用したのはタミヤウェザリングマスターである。台車からのブレーキ鉄粉表現として床下・車体裾に茶系を、屋根上はパンタからの飛沫として茶色を、また蒸気機関車が併用されているとの設定で全面に黒ですす表現を行った。
 これらウェザリング表現は控えめに言ってオーバー、有り体に言えばドギツいものであるが、単純に僕の趣味である。批判は受けても、否定される謂れはない。

完成

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 主に塗装における技量面の問題から、お見苦しい点はあるかと思う。側面はエレクトリーチカさが溢れるが、正面から見れば80系の匂いが消せていないのも不満点である。
 またドロドロのウェザリングは、鉄道模型において許容される範疇を超えるものである自覚はある。
 何はともあれ、僕なりの社会主義日本版エレクトリーチカができた。まだ大きなレイアウトで走らせてはいないが、一度走らせたなら人々の耳目を集め、運転会のアイドルとなり、東西日本を隔てる軍事境界線を越えて走り抜ける統一電車となることは間違いないであろう。

地方自治体と体操と私

 あなたは、「地方自治体の制作した体操」という世界を知っているか。
 もしかしたら、あなたの払った住民税固定資産税酒税自動車税その他によって、「体操」が制作されているかも知れない。そう、あなたにとって「地方自治体の制作した体操」という世界は他人事ではないかもしれないのだ。
 そして僕は、この地方自治体の制作した体操が好きだ。このブログでは、僕が好きなものを好きなだけ好きなように書く、ということを是としているので、今回は自治体が制作した体操のお話である。若干、長い。
 なぜ好きなのか、という話は後述するとして、自治体が制作した体操は大きく分けて以下の3種類に分類することができる。
・主として学校教育で使用する目的のもの
・主として高齢者向けのもの
・「体操」と名がつくが、ダンス的性格の強いもの

 以下、この分類に基づき自治体の制作した体操の特徴とその魅力を紹介していこうと思う。

主として学校教育で使用する目的のもの

 これは、何と言っても千葉県の「なのはな体操」が代表例である。
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 若年者の体力作りを目的としているため、比較的に動きが複雑で、運動量の多いことが特徴である。実際にやってみると、とんでもなく疲れたりする。さすがに「体をほぐす」ための体操とは訳が違う。
 また、学校教育に取り入れられている地域では、半ば強制的にやらされるために、強烈な(ネガティブさを含む)印象を人々に植え付けていることもある。代表例として挙げた「なのはな体操」は、千葉県下の小中学校にて行われる運動会・体育祭などの定番らしく、この点でも名高い。天下にとどろく千葉県管理教育の賜物、という気もするが。
 制作された年代としては比較的古いものが多く、近年にこの種類の体操が新しく制作されている例は確認できていない。
 その他には神戸市の「神戸体操」、茨城県の「茨城県民体操」、大町市の「アルプス体操」などがある。いずれも中々ハードな体操である。
 今回は地方自治体制作のものに絞ったため範囲から外れるが、陸上・航空自衛隊の「自衛隊体操」はこの種類の体操の強化版と言えるかもしれない。

主として高齢者向けのもの

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 現在確認している自治体制作の体操の中では、この種のものが圧倒的に多い。制作された年代としては、先述の学校教育向けのものよりも新しいものが大半である。
 深刻な高齢化社会をむかえ、介護負担の増加などが社会問題となる中で「介護予防」「転倒予防」「健康」「元気」「いきいき」「すこやか」などのキーワードが体操名に含まれることが多い。
 体操の動作は学校教育で使用する目的のものと比べ穏やかであり、また筋力の低下した高齢者向けに、椅子に座った状態で行えるものなども用意されていたりする。
 なお、2007年に日本整形外科学会が「筋肉、骨、関節、軟骨、椎間板といった運動器のいずれか、あるいは複数に障害が起こり、「立つ」「歩く」といった機能が低下している状態」を指す「ロコモティブ症候群」を提唱してからは、「ロコモ体操」「ロコモティブ予防体操」などの名がつく体操が散見される。

 そしてこれは完全に個人的、かつ趣味的な視点からではあるが、この種類の体操が一番「面白い」。
 まず、使用されている音楽に多様性がある。体操のために新たな楽曲を制作する場合もあるが、その場合には無個性なものになりがちである。この種類の体操においては、音楽として自治体ゆかりの自治体歌や自治体愛唱歌を使用していることがある。僕はこういった、特定の人間集団だけでしか歌われない(そしてその内部でもあまり知られていなかったりする)歌が大好きなので、体操動画を探していてそういうものに出会うと嬉しくなる。
 また、動画の中で模範動作をしているのがいかにもな素人だったりするのもポイントが高い。ナレーションにも素人感が溢れていたりすると最高だ。どこか間の抜けた自治体歌に乗せて、素人の高齢者がゆるやかな体操をし、メリハリのない素人っぽいナレーションが動作の解説をする。こんなに笑顔になれる動画があるだろうか。どうせ税金が投入されるのであったら、こういう体操を制作してほしい。実際の認知率や普及の状況はどうだっていい。だって趣味で見ているだけなのだから。
 そんな「面白い」体操の代表例として、勝手に挙げさせてもらうのが鹿児島市の「らくらく体操」である。
らくらく体操・・・'楽しく'のらく、'苦しまずに楽に'のらく、英語で'ラーク'はひばり(夜明けを告げる春の鳥で快活・知恵の象徴)を意味する
毎日楽しく・・・体操そのものを行うことと、生活の質の向上の両方の意を含む
シャキッと・・・「シャキッと生きる」を目標にする
シャンシャン・・・「シャンとする」という鹿児島弁
85・・・私たちが目指す「活動的な85歳」の85
SS85運動・・・「シャキッと」「シャンシャン」の頭文字をイニシャルで示した介護予防の普及啓発の取り組みの通称名とする

 もう、何もかもがすごい。「らくらく」の時点から、字面からは想像できない深い意味に満ちている。「シャキッと」「シャンシャン」「85」の響きもいい。すごい。大好きだ。
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 実際に動画を見てみてみると、「SS85」には振付があることがわかる。ただの標語ではないのだ。体操を行う者の体力に応じて、3段階も体操を擁している細やかな気遣いが光る。そして流れ出す「鹿児島市民歌」は少年合唱団の歌唱であることも相まって、どうしようもなく「校歌」的である。大好き。言うことない。ありがとう鹿児島市……
 蛇足ながら、前述の「ロコモ体操」系のものは判を押したように「面白くない」ことが多い。もっと頑張っていただきたい。

「体操」と名がつくが、ダンス的性格の強いもの

 これも、制作された年代は新しいものが多い。また、幼稚園・小学校などの教育機関で使用されることもあるため、第1の種類の亜種であるとも言える。
 特徴としては、体力づくりといったことよりも「動き」そのものに重点が置かれる。音楽もオリジナルのアップテンポで、ご当地色の強い歌詞がついているのも特徴である。
 代表例としては、白石市の「白石うーめん体操」を挙げる。
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 これはちゃんと調べた訳では無いのであくまで印象でしかないが、この種類の体操は自治体が初等教育向けに制作した、地域の歴史や風土を盛り込んだ歌詞の曲に振りをつけた「○○音頭」の流れを現代的にしたものではないかと思う。
 かつては幼児向け作品においても「ドラえもん音頭」「ポケモン音頭」といった音頭系楽曲があったのが、妖怪ウォッチの「ようかい体操第一」のヒットによって「これからは『体操』の時代だ!!!」と思ってしまった人がいたのではないか。知らんけど。

 この種類の体操は、「ダンス」を名乗っているものと正直な所差別化されている点が見出しづらい。ので、好きなダンスについても書いてしまう。
 そもそも、地方自治体のお役所というところはやたらと「踊り」が好きなところである、ということはここまで読んでくれた奇特な方なら薄々気づいたかと思う。
 踊らせる対象は住民だけではなく、時に自治体職員に及ぶ。数年前の「恋するフォーチュンクッキー」や「恋ダンス」を「踊ってみた動画」として動画共有サイトにアップロードする自治体が続出したのを、覚えている人もいるかもしれない。(この辺のおすすめもそのうち紹介するかもしれない)
 そんな自治体職員踊るシリーズで一番好きなのが、「ぐんまちゃんダンス「ミンナノグンマ」群馬県庁 Ver.」である。
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 群馬県庁の部署紹介動画的性格も持たされているのであろう。様々な部署の職員が踊ったり、踊っていなかったり、踊れていなかったりする。ちなみに「ぐんまちゃんダンス」は群馬県下の様々な団体によって踊られているので、興味を持たれたなら好きなだけ見ることができる。

以下、宣伝

 さあ、もうここまで読んでしまったあなたは「僕も自治体制作の体操で健康になりたい!」「私も自治体歌に合わせて体を動かして郷土愛を高めたいわ!」「わしも税金に踊らされたいぞい!」「でも、ここに紹介されている体操だけだと物足りない……」となっていることだろう。なっているよな。なっているんだ。
 そんなあなたにおすすめなのが、その名も「体操botbot_taisou」なのである。
 twitter.com
 このアカウントをフォローすると、30分に1つ、あなたのタイムラインに自治体制作の体操が紹介されるという寸法である。たまに変なのも混じっているがそれは御愛嬌。@つきツイートをすれば、あなただけにおススメの体操を紹介してくれる機能もある(若干のタイムラグはある)。
 果たして誰がこんなアカウントを運営しているのかといえば、そう。僕だ。
 まあ、皆様の日々の健康増進に、好奇心の充足にと様々な面でお役立ていただければ幸い。

草むらのヒーローに会いに

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 「草ヒロ」という言葉がある。僕はその言葉について漠然と、「草むらに放置され錆び付いた廃車体」という理解をしていて、実際それは間違っていない。でも、なぜそういう廃車体を「草ヒロ」と呼ぶのか、はじめは疑問も感じたのだろうがいつしか何も感じなくなっていた。
 で、最近ようやく「草むらのヒーロー」の略なのだ、ということを知った。なるほど納得そのとおり、錆び付いた廃車体は「草むらのヒーロー」そのものに他ならない。
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 僕の育った街には草むらなどというものはなく、それらしいものと言えば荒川の河川敷くらいなものだが、廃車体なんてなかった。でも、父の運転する車で少し郊外に出たりすると、途端に国道の脇に錆び付いた廃車体がいたりする。畑の中の軽トラック、ラーメン屋だったと思われる原色に塗り潰された古いバス、物置がわりに使われている(た)、すっかり色褪せた国鉄コンテナ。ワムだったりするともう最高。
 とまあ、ここまで書いてみて思い出したのだけれど、僕の街にも廃車体はあった。草むらではなく、スクラップ置き場の隅に。国鉄の、古い客車が輪切りになって転がっているはずだ。古い客車にはおなじみのキャンバス地を貼った木製の屋根がすっかり朽ち落ちていて、夏になるとチョウセンアサガオだかなんかが絡みついて咲いていたりするのだ。

 廃車体はなぜいいのだろう。考えて答えを出す程でもない、と思うので考えない。とにかく、廃車体はいい。草むらのヒーローだ。わかんない人にはわかんないでしょうけどね。でもやっぱり、廃車体はいいのだ。

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 そんな草むらのヒーローを作ってみた。手癖で。いや、「手癖で」って言いたかっただけ、という部分はあります。すいません。Twitterでイラストを描く人の「手癖」に対して素朴な憧れがあり、「ぼくも手癖で何かつくりたい!!!!!」と泣きわめきながらデパートの床を転げ回っている時に思いついたのがジオラマだった、という話である。
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 ことの始まりは電球型のボトルというものが流行りだして、百均で売られているのを見たときに「この中にジオラマ作ったら何やらとってもカワユイのでは???」と思ったのがきっかけ。初めダイソーで売られていたのはガラス製のボトルで、これはボンドが全くガラスに付かず失敗。その後セリアでプラスチック製のボトルを見つけて、ダイソーでも売るようになり、しこたま買い占めたはいいもののその気になれず放置して、気づけば1年近く経っていた。
 でも手癖なのは本当で、新しい技法のチャレンジなどは何もしていない。ジオラマ(特に鉄道模型の)を作ったことのある人ならば、容易に想像できる方法だ。もし知りたい人は、鉄道模型レイアウトのハウツー本かなんかを読んで下さい。

かんたん!30日でつくる Nゲージ鉄道模型ミニレイアウト

かんたん!30日でつくる Nゲージ鉄道模型ミニレイアウト

 (ちなみに↑はアフィリエイトではなく、このリンクから購入された場合でも僕にはびた一文も入ることがない。本当にただのオススメである)
 
 特筆すべきことを言うならば、地面のベースになっているのは、コーヒーの飲み殻を乾かしたやつ。ただこれはオリジナルという訳でも何でもなく、今よりもジオラマ製作材料が豊富でなかった時代ではそれなりに知られた方法だったようだ。たしか名作パイクの『カステラ箱のレイアウト』でも使われていた気がする。1杯ぶんをドリップするタイプのものが、粒が細かくてよろしい。ボトルの内側底にボンドないしマットメディウムを塗り、コーヒー飲み殻を適量流し込み、ボンドないしマットメディウム(マットメディウムなのだが)を水に溶き、中性洗剤を混ぜたものをスポイトで垂らして固着する。口が狭いので、水分が蒸発するまでにはそれなりの時間がかかる。
 あと、個人的な「縛り」として、今回は瞬間接着剤を使わなかった。ボトルの内側が曇るのが怖かったのではあるが、おかげで随分と大変だった。f:id:miko_yann:20180214221542j:plain
 ボンドの固着にずいぶん時間がかかることが判明したので、実は同じようなものをいくつか同時進行で作ったりもした。広口瓶型のボトルの方が圧倒的に作るのは楽なのだが、見栄えを考えるとやはり電球型のほうがいいな。実際かわいいでしょ?

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 とまあ色々作り散らかして、一番気に入ったのが結局この草むらのヒーローだった。コーヒーにアイリッシュ・ウィスキーなど垂らして、机でこいつを眺め回しているのは、思ったよりずっといい時間である。傍から見たらオタク行為以外の何物でもないけど。
 
 あ、もし似たようなのが欲しいという方がいたら作るので、ご一報願えれば幸い(本気)。

俺は焚き火をした。お前は?

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 火を、燃やした。
 もっとちゃんと正確に何をしたのか言うならば、男5人で真冬の西丹沢の山奥に行って焚き火をしつつ酒を飲んだりした、ということである。

 かねてより、焚き火というものに対する憧れがあった。
 youtubeで焚き火が燃えているだけの動画を3時間見ていることもあったし、椎名誠の『あやしい探検隊北へ』などはそれこそ擦り切れるまで読んだ。
 「晩秋の山の中、揺れる焚き火の横でホーローのマグカップに注いだアイリッシュウィスキーなどを舐めつつ、オレンジに照らされた君の横顔を眺めていたのに気づかれて、気まずくなって見上げた空に満点の星が散りばめられているのに気づいたりしたい……」などと繰り返し焚き火に対する憧れの情景を明らかにしていたところ、「おーいいね!」と言ってきた男がいた。その名をのうやくんと言う。
 中高の同期であり、しょっちゅう会っては飲んだり歌ったり踊ったり二人で香港に行ったりした仲ではあるのだが、僕とこの男の組み合わせには「何も決まらない」という重大な欠点があるのであった。
 「焚き火したい」「おーいいね!」
 「計画を詰めよう」「詰めるぞ!」
 「これ決まんないぞ」「決めるぞ」
 「また決まんないぞ」「今度こそ決めるぞ」
 「また決まんないぞ」「決める」
 などと居酒屋、カラオケ、居酒屋、イングリッシュパブなどで幾度にも渡る(不毛な)会合が開かれ、ようやく計画らしいものができたのは、開催の二週間前という有り様であった。なお、決まったあともキャンプ場の予約が取れずに急遽別のキャンプ場に切り替えたなどもあったがそれはそれ。ともかく無事に開催の運びとなったのであった。

準備、あるいは終わりの始まり

 前日はもう遅くまで眠れず、当日は朝も早くから起き出して、待ちわびていた遠足に行く小学生のような有様であったのだけれど、まあ精神年齢は小学五年生とあまり違いはない。眠れなかった原因は荷造りの困難さのせいなのだ。まず、「荷造りをせねばならんな」と思っているうちに23時を過ぎていた。そこから九龍城の如く物が無秩序に積層している部屋から、やれチェコ軍のメスキットだ、やれキャプテンスタッグのガスストーブだといった「今まで買ったはいいが使う機会がなくほったらかされていた物」をここぞとばかりに探し出してきたらもう0時半である。部屋の片隅でホコリをかぶっていたメスキットや、今回のために百均で買ってきた果物ナイフ・キッチンバサミを始めとした調理道具、東急ハンズで買ったホーローっぽい見た目のプラスチック製マグカップ、そしてのうやくんという男のために買った「ちろり」など様々なものをキッチンで洗っていたら、さあもう1時な訳である。
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 「これは荷造りせねばなるまい」とまたもや部屋から45Lのリュックサックを引っ張り出し、必要だと思われるもの全てを詰め込み、入らず、それでも詰め込み、ようやく形になったのは3時近くだったのだ。翌朝の寝過ごしがあまりも怖かったので、リビングのソファで寝たのだけれど、功を奏して必要以上に早起きすることができた。と言うより3時間しか寝れなかったのだが。

 憧れだった焚き火を前に完全にロマンティック浮かれモードだったので、個人的にお土産の定番にして鉄板だと固く信じている千駄木腰塚のコンビーフを買い、もう徹底的に非日常に浸ろうと思った挙句新宿駅からロマンスカーに乗って旅立ったのである。
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 「ロマンスカーとは走る喫茶室である」という固定観念に捕らわれている人間なので車内販売で紅茶を頼み、腰塚のルーベルサンドと一緒に優雅に楽しんでいたら小田原に着くのは一瞬のこと。東京の東側に住む人間にとって、ロマンスカーに乗るというのはやっぱり一大事なのである。買い出し拠点に選んだ棒倒しの好きそうな駅は小田原の手前だったので戻った。
 買い出し~キャンプ場到着までの顛末は、のうやくんのブログでも読んでいただければ幸い。まあ大したことはしていない。
mounungyeuk.hatenadiary.jp

夜、あるいは狂宴

 雪の残る西丹沢の山奥のキャンプ場に着いて、もっぱら僕は火おこしをする任に着いた。なにしろ焚き火をする気満々で、衝動買い同然に焚き火台まで買ったのだから当然である。言い忘れていたが、今回のキャンプに大きく影響を与えているのが『ゆるキャン△』である。図ったかのように1月から放送開始したこのアニメの威力たるや凄まじく、1人のオタクに焚き火台まで買わせてしまうのだ。あと折りたたみ椅子も買った。
 『ゆるキャン△』の1話で、登場人物の志摩リンはいとも簡単に焚き火を行う。しっかり視聴してきたので、焚き付けには松ぼっくりが最適なことも知っている。さあ焚き火だ!
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 ……と、思ったがこれがまあ見事に火がつかない。まず、松の木がないので松ぼっくりがない。周りを見渡すと杉の木がワサワサ茂っているので、杉の枯れ枝や杉の子などを集めてきたものの、雪のせいで湿っているのか薪に火が着くほどの火力をもたらしてくれないのである。「文化たきつけいる?」などと言っていた道民ちゃんの声が脳内を駆け巡る。志摩リンは異常に手際がいいのだ。そして焚き火にロマンティック浮かれモードなだけのオタクは異常に手際が悪い。当然のことであった。
 悪戦苦闘しつつ、なんとか薪と炭に火をつけることに成功した頃には、すっかり遠き山に日は落ちて星は空を散りばめんといった雰囲気なのだ。決め手になったのは段ボールだった。焚き火をするときには段ボールをバンバン燃やせ。
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 「正気か???」と脳が訴えてくるような雪の残る真冬の山奥であっても、外で肉を焼くのは気分がいい。牛肉はやはり美味いのだ。そしてシイタケの傘の内側にマヨネーズを塗りたくり、醤油を垂らしながら焼いたのをあっちあっちと言いながら食べるのは最高に美味い。シイタケが嫌いだという人は、これが食べられないというだけでどれだけ損をしているか思い知るべきである。そして何よりキリンラガービールが美味い。のうやくん謹製の火鍋は鯛のアラがひたすら食いづらく、火鍋なんだか闇鍋なんだかよくわからないものに成り果てていた。
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 そして念願の焚き火である。揺れる炎は二度として同じ姿をすることはなく、そしてただひたすらに暖かいのだ。肉に燃える蒸留酒に闇鍋にと、寒さと暗さと静けさに包まれた山の中で思い思いにはしゃいでいた男たちも、いつしか焚き火の周りに集まっては「焚き火、いいな……」「いい……」「素朴な信仰だよな……」「灰は残り火を求めるんだよな……」「ほんまええ買い物したわ……」などと優しい顔でホッコリするようになったのである。

 ところで僕は前日、リビングのソファで3時間しか寝ていない。それに酒に強い方でもないので、燃える火の酒のせいもあって「もう無理!!!!」と悲鳴を発する体を無視するわけにもいかず22時過ぎには寝ることにした。床暖房に灯油ストーブつきの「ハイアットと変わらない」コテージとはいえ、寒いものは寒い。というか尋常ではなく寒かった。マットレスを2重にして、足にはストールを巻きつけ、コートを着て首にはアフガンストールを巻き、頭にはソ連軍の帽章つきウシャンカを被って完全防備をして寝た。

朝、あるいは贅沢

 早寝もあって5時頃には目覚めた。一番の早起きクマさんかと思ったら、階下でスマホを叩いてシャンシャンしている男がいた。


 寒さに震えながら、外に出てコーヒーを淹れるためにお湯を沸かす。哀れにも外に出されていた飲みかけのビールや食べかけの卵の燻製など、全てのものは固く凍りつく山の朝だ。マイナス7度とかだったらしい。「そういえば」と思って空を見上げれば、やはり尋常ではなく星が綺麗に見えるのだった。「あれが北斗七星で、あれがカシオペアで……」と1人でやってはいたものの、寒いものは寒い。朝の5時半ではあるが、コーヒーにウィスキーを入れたのだった。
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 誰も起きてこないので、たった1人、自分のためだけに焚き火をした。これはいい。もう理屈とかではない。いいものはいい、それだけだ。焚き火を眺め、お気に入りのホーロー(風)のマグカップでウィスキー入りのコーヒーを飲みながら1人でぼんやりする時間。これはもう本当に最高だった。基本的人権として改憲案に明記されるべきだろう。2抱えも買った薪が残り2本に減っていて何事かと思ったが。
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 普段は「マシュマロほどつまらねえ食いもんはねぇぜ」と粋がっている僕でさえ、焚き火を前にしたら優しい気持ちでマシュマロを炙ってしまう。外はカリッと、そして中はトロっとしていて大変に美味い。ひたすらに甘くはあるが、ウィスキー入りのコーヒーもあるのだから。
 段々と男どもが起きてきたので、人間らしい食べ物も作った。千駄木腰塚のコンビーフ入り目玉焼き。若干焦げたけど、「外ごはんは3倍美味しい」と『ゆるキャン△』でも言っていたので大丈夫。一晩寝かせた火鍋はさらに様々な物がぶち込まれ、もはや完全に闇鍋になっていた。
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 一晩お世話になった焚き火の跡は、そこだけ完全に雪が溶けて地面が見えていた。長い時間、同じ場所で火を焚いた跡が遺跡になるのも納得である。気づけば服も髪も、全てに焚き火の匂いが染み付いていた。
 手際の悪い男たちにチェックアウト時間を1時間早く伝えて片付けを急かし、山を降りて温泉に使って帰ったところは再びのうやくんのブログでもご参照いただければ幸いである。

教訓、あるいは気づき

 とまあ、憧れだった焚き火とキャンプをした訳だが、幾つかの教訓めいたものを得ることができた。今後の焚き火にはこれをぜひ活かしていきたいので、列挙しておく。
 ・焚き火はいい
 ・焚き付けにはとにかく段ボールを燃やせ
 ・キャンプでは持っていって損する物はない
 ・焚き火はいい
 ・焚き火は人を優しくする
 ・焚き火はいい
 ・火鍋は闇鍋になる
 ・インスタントラーメンを買え
 ・焚き火は、いい
 ・焚き火は、本当に、いい
 また焚き火をするのであれば、万難を排してぜひとも行きたい。できればもう少し寒くないと申し分ないが、でも寒かろうが焚き火はいい。本当に焚き火はいいのだ。

富士そばで孤独を味わえ

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 富士そばへの愛を、語らなければならない。この間の記事で、高らかに宣言しちゃった手前もあるし。
 僕はしょっちょう、富士そばで飯を食う。少なく見積もっても、平均で週2回は行く。週に5回富士そばだったこともある。理由としては大学の近くとか、バイト先の近くとか、とにかく僕の動線上に店が多いのが1つ。パッと食ってサッと出れる、ファストフードであるのも1つだ。でもそれだけだったら他に候補はいくらでもある。マクドナルドでも、吉野家でも、日高屋でもいい。
 ではなぜ富士そばなのか、と考えてみれば、結局のところ僕は富士そばが好きなのだと思う。「愛している」という言葉は、何なのかよくわからないので、実は好きではない言葉だ。でも、今回はその曖昧さを込めて、あえて使うことにしよう。
 僕は、富士そばを、愛している。

 「富士そば」というものが何かわからない方に説明をすると、都内を中心に首都圏に展開するそば・うどんのチェーン店である。株式会社ダイタングループが運営し、正式には「名代富士そば」という。まどろっこしいし、普段使う名称でもないので、この記事中では「富士そば」で統一させてもらう。立ち食いそば屋だと思われることがあるが、実は殆どの店舗が椅子に座るタイプだというのは、以前ここで書いた。

 先に言ってしまうと、僕が富士そばを好きである理由は、食わせてくれるそばの味ではない。断言してもいい。富士そばのそばは、別に美味くない。

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 美味いそばを食べたければ、ゆで太郎に行けばいい。『挽きたて』『打ちたて』『茹でたて』にこだわるだけあって、そばの味は申し分ない。かき揚げそばを頼むと、かき揚げが別の皿に乗って出てきたりする。ネギも別皿。丼に浮かぶのはなんと三葉である。「富士そば小諸そばなんかと一緒にしないでもらいたい!!座ってそばを召し上がってもらうからには、それなりの盛りつけというものがあるだろう!!!恥を知りたまえ!!!!!」的な、もはや気高さすら感じさせてくれる盛り付けである。410円なんだけど。
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 小諸そばに行けば、かけそばにだって細やかな気づかいがある。冬になれば柚子が乗る。ネギも入れ放題だし。テーブルなりカウンターなりの上には、普通の七味の他に「ゆず七味」なんて物も備えてあって、これまたなんとも気が利いている。
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 そして小諸そばと言えば、小梅漬けの食べ放題である。これは強い。
 ちなみにそばとうどんで、汁がちがう。そばは関東風の真っ黒い汁、うどんは関西風の黄金色の汁だ。「そばをうどんの汁で!」なんていう注文にも応えてくれる。もはや小さなテーマパークである。イッツァスモールワールド。かけそば1杯260円なのに。小諸そばというのは、かけそばワンダーランドなわけですね。

 それに比べて富士そばのそばは、特徴に薄い。言ってしまえば、ボヤッとした味をしていると思う。そばを食うより、うどんを食った方が美味いと思いますからね。肉富士をうどんで頼め。
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 つゆや天ぷらの味も、店舗によってばらつきが大きいし。もっと安くそばを食わせる店はいくらでもあるので、取り立てて安いということもない。

 ではなぜ、僕はこれほどまでに富士そばに通い、「愛している」とまで言い切るのか。
 それはもう単純に、富士そばの雰囲気が最高なのである。

 昼時の富士そばは、ひたすらにスパルタンだ。
 背広姿の男たちが、黙々とそばやうどん、カレーライスやカツ丼を食べている。そこに客同士の会話は、ない。
 「暖かみ」「楽しい食事」「団欒」「和気藹々」などという言葉が、これほどまでに似つかわしくない外食空間は類を見ないだろう。この空間で発する必要のある言葉といえば、食券を出しながら店員に宣言する「そばで」「うどんで」のどちらかのみ。食い終わった食器を返し、返却口の店員に「ごっそさん」と言うあたりまでは認められるだろう。結果、店内に響くのは店員の声と、流れ続けるBGMの演歌だけだ。
 客の平均滞在時間は10分もないだろう。せわしない昼休み、人は、昼時の富士そばで1人になれる。富士そばで噛み締め、味わうのはそばでもうどんでもない。カレーライスでもカツ丼でもない。高貴にして純粋な孤独なのだ。
 なんという、スパルタンな空間か。だから僕は、昼時の富士そばに行くときは、最大限に敬意を払う。背広を着て、ネクタイを締めて、紅生姜天そばという名の孤独を手繰るのだ。
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 一方で、夜の富士そばというのも、これまた大変に愛すべき存在である。特に、終電が出たあとの富士そばがおすすめだ。
 北千住駅の終電は、25:02発の常磐線快速松戸行きだ。新宿や中央線沿線なんかで呑んだくれると、僕はこの電車にお世話になることがある。25時過ぎに北千住駅西口に降り立つと、酔いはそろそろ醒め始め、小腹が空いたりする。すると、目の前に明々と富士そばの明かりが灯っているのだ。そう、富士そばは24時間営業である。
 店内の音は、昼時と対して変わりはない。店員の声と、BGMの演歌が流れ続けている。客同士の会話も相変わらずない。相変わらず、富士そばは人を孤独にする。
 この孤独が、どことなく暖かく、そして優しいものに思えてくる時がある。富士そばの存在が、どうしようもなくありがたいのだ。飲んで騒いで、階段を登れば、今日も丼に、油が浮いていたりする。そして僕は深夜25時、紅生姜天そばを手繰るのだ。
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 逆に、この孤独がとてつもない寂寥さを際立てる時もある。1人というのは寂しい、そんな当たり前のことを富士そばが思い出させてくれる。客は1人、また1人と丼を返却口に返してく。ある者は徒歩で千住龍田町に、ある者は自転車で町屋6丁目に、そしてある者はタクシーで谷在家へ、それぞれの家路につく。紅生姜天そばを食べ終えた僕も、コートの襟を立てて孤独と共に帰宅の途につくのだ。
 これはつまり、エドワード・ホッパーの『ナイトホークス』の世界なのだ。
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 1940年台のニューヨーク、グリニッジ・アヴェニューのダイナーに行きたいと思ったら、終電が終わったあとの富士そばに行って、紅生姜天そばを手繰りなさい。410円で、あなたもナイトホークスになれるのだ。

紅生姜天そば/うどん(410円)

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 とまあここまで書いてきて、富士そばに馴染みのない方の脳内には同じ疑問が湧いていることと思う。
 「紅生姜天そばって、なに……?」と。
 まあ、読んで字のごとくである。紅生姜が天ぷらになって、そばの上に乗っている。それ以上でも、以下でもない。紅生姜天そばとは、紅生姜天そばに他ならない。
 生姜の細切れを梅酢に漬けて、それを玉ねぎの切れ端なんかと一緒にかき揚げにする。そしてそばに乗せる。冷静に考えれば、正気の沙汰ではない。関西では一般的だと言う話もあるが、じゃあ関西というところが正気の沙汰ではないのだろう。味の良し悪しは、個々人の好き嫌いによるだろうから「食ってくれ」としか言えない。正直、僕は富士そばにはもっと美味い食べ物もあると思う。肉富士をうどんで頼むとか。
 でも、僕は好きだ。好きなんだからもうどうしようもない。富士そばの生んだ最高傑作だと思う。天ぷらの揚がりが甘い店舗で、口の中に「ヌタッ」「ネチャッ」という感触が広がったときなどたまらなく愛らしくなる。まあそんなもん、食べ物としては美味くはないんだけど。
 大多数の店舗では、ちゃんと揚がっているので、安心して食べてください。もしどうしても「ヌタッ」「ネチャッ」が味わいたい人には、個人的にお教えします。
www.amazon.co.jp

カレーライス(440円)

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 富士そばという店は、極めて大衆的なそば屋の文脈上にある。そばがあり、うどんがあり、ラーメンがあり、カツ丼があり、そして当然カレーライスがある訳だ。
 カレーライスは、「カレーライスである」というそれ時点で、すでに嬉しい食べ物だ。富士そばのカレーライスは、スキー場のロッジとかで食べたら1200円くらいしそうな味がする。学食で食べたら、254円くらいの味でもある。つまるところ、極めて普通ということなのだが、味の良し悪し以前に嬉しさがあるんだから、もうそれでいいじゃないですか。優勝。優勝です。
 ちなみに富士そばは、多くの店舗が交通系電子マネーに対応している。電車賃を飯につぎ込めるのだ。だから僕はSuicaで支払いをして、440円のカレーを食べようとスプーンを取る度に、なけなしの電車賃だった10銭でライスカレーを食べる内田百閒を思い出してしまうのだ。

かつ丼(490円)

 富士そばのカツ丼については言及してる人がいっぱいいるだろうから、そっちを読むと良いよ。写真もなかったしね。
 正直に言えば、富士そばのカツ丼は僕の理想とするカツ丼ではない。僕の理想とするカツ丼については、またどっかで語ったりするかもしれない。気長に待っていただければ幸い。
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www.amazon.co.jp

ブロッコリーさんとぼく

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 ブロッコリーと、暮らしている。
 「育てている」というほどに、丹精込めてはいない。ベランダに置いた植木鉢に、ブロッコリーの苗を植えた。毎日水をやった。そうしたらブロッコリーが勝手に育った。まあそんな塩梅である。
 一緒に暮らしてはいるが、間違いなく血縁関係はない。籍も入れていないから、有り体に言えば同棲ということになる。
 僕は、ブロッコリーと同棲している訳だ。

 ここのところ、毎年のように夏には朝顔を植えている。その時も思ったが、毎朝植物が育っていく様を見るのはなんとなく気分がいい。写真の1枚でも撮って、Twitterに上げてもみようか、という気にもなる。それで「いいね!」でもしてもらえれば、僕の自己顕示欲も満たされる。
 かように植物と一緒に暮らすのは、とりあえず悪いことはない。食べれるものなら申し分ない。バジルなんかは、ほったらかしておけばワシャワシャ繁るので、必要なときにその都度ブチブチと千切って使えばいい。「ジェノベーゼが高い」とお嘆きのあなたには、特にオススメしたいものだ。


 とはいえ、ブロッコリーとの同棲生活には心配事がなかったわけでもない。収入も不安定だし……
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 我々家族はどこからか「10月には食べられる」という情報を得て、それを信じていた。毎朝毎朝、ブロッコリーが育っていくのを楽しみに確認して、それぞれの人生を過ごしていた。
 ところがいつになっても一向に、「ブロッコリーらしさ」を持った、食べられそうなところが出てこないのだ。むやみやたらと図体ばかりデカい、食べられるんだか食べられないんだかさっぱりわからん葉っぱばかりがモサモサと生えてくる。いつしか、家族の中でブロッコリーの育成状況に関する会話はなくなった。暗黙のうちに、タブー視すらされるようになった。
 同棲相手のブロッコリーさんが厄介者扱いされていく様を、僕は黙って耐えるしかなかった。


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 そんなブロッコリーたち(そう、実は2鉢ある)だったが、最近ようやく「ブロッコリーらしく」なってきた。大変よろこばしくある。
 「そろそろ収穫かな」などと、家族の会話にもブロッコリーが戻ってきた。素晴らしいかな、ブロッコリーのある生活。みんなもベランダでブロッコリーを育てて一喜一憂しつつ、柔らかな感情を持って生きていけばいいと思うよ。スモアを作ってココアを入れて、暖炉の前の揺り椅子で、読みさしのサマセット・モームを開いて……いやまあ家にはガスファンヒータくらいしかないですけど。

 ただ、困ったことはないでもない。
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 鳥の糞害である。
 最近めっきり寒くなり、木々の葉っぱもすっかり落ちた。そんな中で我が家のベランダの片隅で、すくすくと勝手に育ちつつあるブロッコリーたちは、貴重な緑として鳥類に目をつけられたらしい。
 散々葉っぱばかりがモサモサ繁っていた時に、悔しいので何とかならないものかと思い、利用方法を調べたことがある。するとどうも、ブロッコリーの葉というものは食用になるらしい。人間様が食べるくらいなら、当然鳥だって食べるだろう。
 そんなわけでお鳥様は、我が家のベランダでゆっくりと新鮮野菜を味わい、ご丁寧にウ◯コまで垂れてから飛び立って行かれるのである。これではまるで、鳥が我が家のベランダで便所飯をしているようで大変に腹立たしい。僕としては責任鳥に文書をもって正式に抗議する構えであるが、母親による収穫のほうが早いかもしれない。

 同棲相手を「食べる」日が、刻一刻と近づいている。