濹堤通信社綺談

江都の外れ、隅田川のほとりから。平易かつ簡明、写真入りにて時たま駄文を発行いたします。

風呂がなければ踊れない

  

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ビールがなければ働けない

 最近、僕は風呂が好きなんだろうな、と思う。それも、たぶん人より。
だから、僕にとって「風呂が億劫」というのはメンタル悪化の一つのバロメータになっている。ちなみに次のステージが「飯が億劫」で、今はここにいる。「あー、やばいな」とは思っていても、どうすることもできない。これが鬱の鬱たるところなのだが、今は「どうもしてやるものか」という根性がまだ残っている、といったところ。
まあなんだ、季節の変わり目ですね。

 話を風呂に戻せば、僕は長風呂をするタイプだ。風呂に文庫本やら、ジップロックに入れたスマホやらを持ち込み、平気で1時間2時間は湯船に浸かっている。実家にいた頃は親に散々怒られもしたし、今の家に住んでからは同居人に迷惑をかけたこともあると思う。だからと言って、やめる気なんてものはさらさらないのだけれど。
一軒家を借りてシェアハウスなどというものをしてみて、間違いなくよかったことの一つは風呂が広いことだ。
足が伸ばせるほどではないにしろ、ちゃんと肩まで浸かれる浴槽がある。古い家ではあるけれど、リフォームが完璧なので、追い焚きのできる新しい給湯器がついている。これだけのものがあれば、成人男性3人分の抜け毛が絡んだ排水口を掃除してやるのも苦ではないのだ。
それに、今の家は銭湯が近い。20分も歩けば、黒湯の湧き出す天然温泉だってあるのだ。黒湯というのは関東平野の南部に特有の温泉で、古代の海水が地熱で温められたものだ。場所にもよるけれど、色の濃いところではそれこそコーヒーのような濃褐色のお湯になる。塩分を含むから頭を洗わないと髪がバリバリになるけれど、ぬるめのお湯でも長く浸かればジンワリと暖まってくる、中々に素敵なやつなのだ。

 つい先日も、この黒湯の天然温泉に行ってきた。3ヶ月に一度が2ヶ月に一度になり、もう最近は毎月のペース。バキバキになったカラダのありとあらゆるところから、温泉を求める声が聞こえてくる。30の大台も近い今日この頃である。
世間様では平日とされる曜日に休みがあるので、その日に行く。大体、午前中からだ。
家を出て、坂を上り、普段の生活圏とは逆の街へ。日常の中の非日常を始めるにはうってつけじゃないか。
露天風呂というのは、よく晴れた平日の午前中に入るためにあるのだ。まだ高いお天道様の下で、広い浴槽で両の手足を伸ばしたら、もうこれ以上の幸せなどというものはこの世に存在しないんじゃないかとさえ思えてくる。本当に、誇張抜きに、そう思うのだ。


 いま、次の住処をぼちぼちと探し始めている。この家の契約が6月で切れるのだ。僕自身が主体となっての部屋探しは初めてなのだけれど、わりあい楽しくやれている。
なにせ僕は、生活が好きだ。どうせやらなければならないのなら、好きになった方がいい。生活の基礎を自分で選べるのだから、こんなに楽しいことはない。
風呂・トイレ別というのが欠くべからざる人権だと思っているので、そういう部屋を見ている。すると家賃の関係で、残されてくるのはバランス釜の部屋だ。
バランス釜は「敬遠」されるらしく、それだけで割引案件になるらしい。バランス釜、いいじゃないか。湯船は狭くなるだろうけれど、追い焚きはできる。
一人暮らしというものをするのなら、一度はステンレスの湯船に膝を抱えて入らなければならないだろう。それが人生というものじゃないのか。
というわけで、バランス釜何するものぞと心意気は高いのだった。
思い出せば、母方の祖父母の「家」だった、松戸の一軒家はバランス釜だった。子供の頃、お湯をかけるなと祖母に叱られた記憶がある。
一度、石鹸か何かをバランス釜と壁の隙間に落としてしまったら、「もうそれは拾えない」と言われた。すると、その隙間というものがとてつもない深淵のように思えてきて、途方もなく怖くなった。そんな因縁のあるバランス釜と、対峙する度胸がついたのだ。これが成長というものだ。


 祖父母の「家」と鉤括弧つきで書いたのは、祖父母の「店」があるからだ。曾祖母が健在だったころまでは、祖父母は北千住駅前にある「店」と、松戸の「家」を往き来していた。どちらかというと、精神的な軸足は千住の方に置かれているのだが。
千住の店には風呂がない。だから、週に2~3度、風呂屋に行く。
「銭湯」という言葉を僕は祖父から聞いたことがない。いつでも「風呂屋行ってくる」と、東京の人らしい母音をはっきり言わない発音で言うのだ。小学生だった僕がその場にいると、誘われることもある。そういうことがあれば、祖父の後ろをついて歩いていくのだった。
千住というのは古い家の多い街だから、未だに銭湯が多い。僕の記憶の範疇だけでもずいぶんな数が減ったけれど、それでもまだ多いだろう。なにせ、小学校の同級生には風呂屋の子が2人もいたのだ。
こうしてみると、風呂の入り方というのは、祖父に教わった気がする。湯船に入る前に、まず体を洗え。身体中を泡だらけにするな。後ろの人にも気を払え。手拭いに石鹸をこすりつけて、石鹸箱にかぶせて吹くと泡が出て面白いぞ。浴槽のお湯は熱いが、そうそう埋めちゃあならねえ。我慢しろ。肩まで浸かれ。軍隊の風呂ってのは、立ったまま入るんだ。刑務所と一緒だよ……


 この間、何の気なしに花王ホワイト石鹸を買った。風呂に入ろうとして包み紙を開いた途端、そんなことがブワッと、本当にとめどなく思い出されるのだ。
そう。祖父と行った銭湯の、三丁目にあった「千代乃湯」の匂いは、まさしくこいつだった。
あの頃風呂上がりに買ってもらっていた、牛乳瓶に入ったリンゴジュース。まだ、どこかで売っているのだろうか?